作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

7月21日

極めてどうでもいい話をしたくなる時がある。しかも職場で。 先日オードリーのオールナイトニッポンを聞いていたらこんな話があった。『「なーにぃー、やっちまったな」でお馴染みのお笑いコンビ、クールポコの胸毛の人の誕生日は7月21日、なーにぃーの日だ…

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド (読書感想文)

カントは純粋理性批判の冒頭で「人間は理性が斥けることもできず、答えることもできない問題に悩まされる運命にある」と言っている(参考1 P13 )。「不死(魂の永遠)」はその「斥けることも答えることもできない問題」の一つである(参考1 P43)。 「不死…

能動のイエスマン その2

2021年5月26日の当ブログ記事「能動のイエスマン」で私はイエスマンへの憧れを書いた。 イエスマンを自分の言葉で言うと「出されたパンチは避けない」である。自分で考えた言葉なのか誰かが言った言葉なのか分からないのだが、最近の私の座右の銘としている…

ちあきなおみ

ちあきなおみの歌が素晴らしいことを知ったのは残念ながら彼女の引退の後だった。彼女はお芝居の人だ。たまにやる特集番組か動画配信の中でしか見たことはないが、凄まじいテクニックはすべて歌の中のお芝居に注がれたに違いない。 矢切の渡しでは若い男女と…

能動のイエスマン

ジム・キャリー主演の映画イエスマンは、イエスと言い続けて人生を良い方向に変えてしまう男の話だ。 これとは別に、反対意見を述べずにただただ従う人もまたイエスマンと呼ばれる。「自分は利用されてばかりいる」「雑用ばかりやらされる」「はっきり断るに…

平等と優しい若者

今と比べ、一昔前は帰属すべき集団が沢山あった。そして集団の結束を高めるため、人々は隙あらば大人数で集まった。親戚の集まり、子供会、青年団、お祭りや盆踊りの手伝い、町内会、仕事場では忘年会や親睦行事、慶弔事は人数が多い程良いとされた。今はコ…

そして父になる 映画解説の紹介(ネタバレあり)

「そして父になる」は2013年に公開された福山雅治出演、是枝裕和監督の映画である。私は5~6年前に偶然ラジオでこの映画の解説を聞いたのだが、これが素晴らしかったので紹介したい。どなたの解説かが分からないので出典を示すことができなくて残念だ。 映…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(10)完了

哲学入門(参考1)の8章の終わりです。P110の11行目からです。 <要約1> 正しく語るなら、アプリオリな知識はすべて、心的世界や物理的世界の中に存在しないものに関わる、名詞以外の性質や関係といったものだ。例えば「私は部屋の中にいる」という文に…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(9)

カントの純粋理性批判をヒントに読み進めてきたが、そもそも私は純粋理性批判(参考3)の上巻の180頁くらいまでしか読んでいない。そんな状態でここまで突っ走ったが良かったのだろうか。勿論良くないに決まっているけれど、それしかヒントがないので仕方が…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(8)

このへんからもう頭がドッパーンです。 哲学入門(参考1)の8章、P107の1行目からです。 <要約1> カント哲学の反対論が一つある。 アプリオリな知識の問題を取り扱う上で「事実はつねに論理と算術に従うはずだ」という確実性は説明されない。なぜなら私…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(7)

やべえ。間に合わない。 哲学入門(参考1)の8章、P106の8行目からです。 <要約1> カントは物自体[原注1](物的対象)を本質的に知り得ないものとみなす。知りうるのは経験に現れる対象(現象)だけである。現象は知覚者と物自体の共同の産物だから、知…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(6)

難しさが加速しています。哲学入門(参考1)の8章、P104の12行目からです。 <要約1> 知識は一般的であるのに対し、経験は個別的であることから問題が生じる。まったく経験していないことでも私たちは真理を知っている場合があるが、これは不思議なこと…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(5)

哲学入門(参考1)の8章、P103の8行目からです。もうなんだか、引用だらけです。 <要約1> カントはヒュームの懐疑論を知って動揺し、努力して原因と結果の結合以外にも算術と幾何学も分析的ではなく総合的であることを見てとった。カントは7+5=12を例…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(4)

哲学入門(参考1)の8章、P103の3行目からです。 <要約1> ヒューム以前、合理論者は十分な知識があれば結果は原因から演繹できると考えていた。ヒュームはそれを否定し、今では一般的にそれは正しいと受け入れられている。だが、ここからヒュームは、…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(3)

哲学入門(参考1)の8章、P103の1行目からです。 <要約1>カント以前に、ヒュームはこれまで分析的と思われていたこと、とりわけ原因と結果の結合が本当は総合的であることを発見した。(P103、1~3行)<読書メモ1> さらっと「総合的(synthetic)」…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(2)

哲学入門(参考1)の8章、P102の2行目からです。 <要約1> カント以前は、アプリオリな知識はすべて「分析的」でなければならないと考えられていた。 「分析的」とは、主語が少なくとも二つの性質を持つものとして与えられ(術語において)それらの一つ…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(1)

哲学入門(参考1)の8章、「アプリオリな知識はいかにして可能か」に関するメモです。ここでラッセルはカントの哲学を大筋で認めつつ、ある点で間違いであることを指摘します。しかし私は何度読んでも理解できません。そこでメモを取りつつ頑張って読んで…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)7章 メモ(6)、7章完了

今日のメモで7章終了です。哲学入門(参考1)の7章、P98の10行目からのメモです。 <要約1> 演繹は新たな知識を与えることがある。これについて例を挙げて説明する。「BとJの2人、RとSの2人を合せるとBとJとRとSの4人になる」。これは新しい知識であ…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)7章 メモ(5)

哲学入門(参考1)の7章、P95の15行目からのメモです。 <要約1> 論理学も純粋数学もアプリオリである。経験論者は2+2=4は経験から帰納されるものだと主張するが、それは間違いである。2+2=4に関する個別事例から個別性を取り除くと一般原理が…

好きな筆記具

ずっと使っているペンはSAILORのプロフィット極細という万年筆で、ずっと使っているノートはダイソーの無罫ノートD‐98だ。万年筆は筆圧がいらないので思ったことを書きなぐるのに適している。ゲルインキボールペンも良いが、万年筆にはかなわない。 そして万…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)7章 メモ(4)

もはやブログ記事とは呼べない垂れ流しメモです。哲学入門(参考1)の7章、P94の9行目から始めます。 <要約1> 論理的知識以外のアプリオリな知識のうち最も重要なのは倫理的価値に関する知識である。それは、役立つかどうかではなく、それ自体が望ましい…

死に至る病を読む(12)、完結

ついにこの時が来ました。死に至る病の第一章の四頁だけを読むシリーズの最終回です。これまでは、行くも地獄、帰るも地獄の絶望状態を説明してきました。しかし今回、たった一つだけ絶望を根絶やしにできる方法があるとキェルケゴールは言います。 まずは岩…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)7章 メモ(3)

こんな遅読じゃ間に合わない!と嘆いても仕方がないので続けます。哲学入門(参考1)の7章、P92の13行目からのメモです。 <要約> 知識はすべて経験をきっかけとして生じるが、アプリオリな知識もある。(以下にアプリオリな知識を定義する)『知識のうち…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)7章 メモ(2)

哲学入門(参考1)のP91の9行目からメモを続けます。 <要約> 哲学史の論争の一つに「経験論者(empiricists)」と「合理論者(rationalists)」の論争がある。(参考1 P91 9~14行) 経験論者(イギリス) 1632~1704年 ジョン・ロック 1685~1753年 バ…

死に至る病を読む(11その2)、カオナシ

2021年4月30日の当ブログ記事「死に至る病を読む(11)」で無限に自己を反省する例として割れたお皿の話を書きました。今回は、その時の記事に書ききれずに割愛したカオナシの例を書きたいと思います。 まずは岩波訳のおさらいから。 「絶望における分裂関…

哲学入門(バートランド・ラッセル著)7章 メモ(1)

哲学入門(バートランド・ラッセル著)7章 メモ(1) 本記事はブログとは呼べない私的メモになりました。 ラッセルの哲学入門(参考1)ですが、課題となる7・8章が難しいので予習しております。カント哲学との差異の議論は特に難しいです。カントが難し…