作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(4)

哲学入門(参考1)の8章、P103の3行目からです。

 

<要約1>
 ヒューム以前、合理論者は十分な知識があれば結果は原因から演繹できると考えていた。ヒュームはそれを否定し、今では一般的にそれは正しいと受け入れられている。だが、ここからヒュームは、「原因と結果の結合については何もアプリオリに知ることができない」という命題を引き出した(ラッセルはこの命題を偽としている)。(P103、3~7行)
<読書メモ1>
 この部分はWikipediaで補う。
 『ヒュームは、因果関係の特徴は「でなければならない(must)」という考え、あるいは必然性にあると見なした。しかし彼は、原因と結果の間に必然的な結合と言えるような結びつきはなく、事物は我々にそのような印象を与えないと論じ、「であるbe」あるいは「起こるoccur」でしかなく、「must」は存在しないと主張した。一般に因果関係といわれる二つの出来事のつながりは、ある出来事と別の出来事とが繋がって起こることを人間が繰り返し体験的に理解する中で習慣によって、観察者の中に「因果」が成立しているだけのことであり、この必然性は心の中に存在しているだけの蓋然性でしかなく、過去の現実と未来の出来事の間に必然的な関係はありえず、あくまで人間の側で勝手に作ったものにすぎないのである。では「原因」と「結果」と言われるものを繋いでいるのは何か。それは、経験に基づいて未来を推測する、という心理的な習慣である。
 ヒュームは、それまで無条件に信頼されていた因果律には、心理的な習慣という基盤が存在することは認めたが、それが正しいものであるかは論証できないものであるとした。後世この考えは「懐疑主義的」だと評価されることになった。』 Wikipedia、「デイヴィッド・ヒューム」から引用)

 まずは「アプリオリに知ることはできない」とは「正しいと論証できない」という意味でだいたい合ってることにしよう。


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm