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何か書くと楽しい、かもしれない。

そして父になる 映画解説の紹介(ネタバレあり)

 「そして父になる」は2013年に公開された福山雅治出演、是枝裕和監督の映画である。私は5~6年前に偶然ラジオでこの映画の解説を聞いたのだが、これが素晴らしかったので紹介したい。どなたの解説かが分からないので出典を示すことができなくて残念だ。

 

 映画のあらすじは、病院の過失による新生児取り違えでそれぞれ異なる親に育てられた二人の男の子が、六歳になって互いの実の親のところに戻るという話である。そこで互いの家族の葛藤を描くというヘビーな内容だ。

 

 私がラジオで聞いた解説は、福山雅治が演じるセリフの無い短いシーンに関するものだ。私はこの映画を映画館で観ていたのだが、私を含め観客の大部分がそのシーンですすり泣いた。館内が同時に福山雅治に泣かされたのだ。何故こんなことが起きたのか。

 

 映画では、父親である良多(福山雅治)がひたすら鼻につくエリートとして描かれる。良多は子供の教育は厳しくあるべきで、且つ最高の環境を与えるのが親の務めだと考えている。それはいいとしても、子供が思うような結果を出さない理由を奥さんのせいにし、取り違えに気付かなかったことで奥さんを咎め、もう一組の両親の気持ちを無視して実の子と育てた子を二人とも引き取ると言い出すなど、とにかく嫌な奴で感情移入ができない。


 しかし、良多は多少歪んではいるものの、育ての子と実の子に全力で向き合い愛そうとする。子供を実の親に戻した後、良多は実の子とできるだけ一緒に過ごして楽しいことをし、一日でも早く家族になろうとする。嫌味な奴ではあるが、奥さんへの思いやりが生まれ、先方の両親との交流や子供への愛情により少しずつ変わっていく。

 

 注目すべきシーンは、そうやってお父さんである良多が頑張っているときに描かれた。

 

 そのシーンはこうだ。良多は実の子の寝顔の写真をデジカメのメモリー画面で眺めていたが、ついでに過去の写真も遡って見ていった。実の子の写真を見て微笑む良多。しかし、両方の両親とそれぞれの子供達が一緒に写った集合写真で一瞬手が止まる。そして次の写真は取り違えが発覚する前に撮った育ての子の写真だった。良多は真顔になる。その次は育ての子に自分を撮らせた自分の写真だ。

 しかし、次からは見覚えの無い写真が続く。良多の後ろ姿、良多の寝ている姿、良多の寝顔、良多の寝顔。それは育ての子が知らぬ間に撮った良多の写真だった。それを見た良多はからだを震わせて嗚咽するのだった。

 

 この短くセリフの無いシーンがなぜここまで感情を揺さぶるのか。解説はこうだ。

 

 映画はすべて良多の主観で描かれている。
 そして注目のシーンはデジカメのメモリー画面という小道具が使われる。そこには良多の視点ではなく、育ての子の側から良多を見つめる視点があったのだ。良多はこれまで自分が強く正しくなくてはならないとだけ考えてきた。それが子供を愛することだと信じて。
 しかし、デジカメには良多の寝顔が幾つもあった。それを見た良多は、育ての子が良多をどんなに大好きだったかを初めて知ったのだ。同時に、自分がどれほどその子に愛されたかったのか、自分を愛してほしかったのかということに初めて気付いたのだった。

 

 それまですべて良多一人の視点で描かれてきた物語が、一瞬だけ子供の視点に切り替わり、子供から良多に向けた愛情が示される。そして良多の感情が堰を切ってあふれ出す。それまで感情移入したくても出来なかった観客は、良太が初めて見せた感情の発露によって一瞬で良多を許し、良多に一気に感情移入してしまうのである。

 

 そんなジェットコースターみたいな天地逆転を、短いシーンで、しかもセリフ無しでやられた観客はたまらない。もう何が何だかわからなくなってしまい、涙がドバーである。福山雅治の抑制の効いた演技もまた感情の揺さぶりに拍車をかける。

 

 このブログ記事を書く前にストリーミング配信でこの映画を見直してみたのだが、理屈が分かった後でもやっぱりこのシーンは泣ける。是枝監督、福山雅治は凄いのだ。