作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

平等と優しい若者

 今と比べ、一昔前は帰属すべき集団が沢山あった。そして集団の結束を高めるため、人々は隙あらば大人数で集まった。親戚の集まり、子供会、青年団、お祭りや盆踊りの手伝い、町内会、仕事場では忘年会や親睦行事、慶弔事は人数が多い程良いとされた。今はコロナで集まることが難しいが、それを差し引いても昔ほど多くの世代が一同に集まることが良いとは思われていない。それに暗黙の強制力も小さくなっている。

 

 人は孤独を嫌う。集団への帰属と一体感は人の孤独感を低減させ、同時に集団を活性化させる。個人と集団の利害は一致していたのだ。しかし最近は経済的合理の立場からこういった集まり事は不合理と見なされることが多い。

 

 そんな中、孤独感を癒す役割を果たしているのが平等の概念における同一感だとエーリッヒ・フロムは言う(参考1)。平等の概念の下では、自分の考えが世の中一般に受け入れられたときにはじめて孤独感が低減されるのだ。自分の考えを表明し、それが承認されたときに孤独感が薄まり、心理的な安定が生まれる。

 

 ただし、平等には必ず個という概念が必要だ。個であるからには同一でありながら個々が別物であることが前提となる。その前提のもとには自分と他人とは何等かの差異が無くてはならない。

 

 つまり平等と個の世界では、人間関係を築くために大変難しい舵取りが必要とされるのだ。

 

 自分自身に関係する他人との差異を、優劣や嫉視の感情なしに眺めることは難しいだろう。集団の中での個々の差異は問題にならない程小さく相対化されたとしても、平等の概念のもとでは個々の差異は人間関係に決定的な意味を持つほどに極大化されるからだ。


 また、集団の中では自分自身に関係しないことであっても対処せねばならないことは数多く生じるが、平等と個の概念のもとでは無関係はどこまでも無関係である。最近よく聞く「自分はそれに興味ないんで。」は話題を強制終了させるキラーワードであり、個々の心の壁をよく表現している。

 

 このように、近付けば互いに傷つくし離れていれば関心すら持てないとなると、人間関係を築くのは至難の技だ。せめて明確な信仰があれば、自分と相手を客観視でき、平等と個の尊重を肌感覚で捉えることが出来るのかもしれない。しかし、日本人はそこまで信仰に自覚的にはなれないのではないだろうか。

 

 最近の若者がひたすら優しくなるのも無理はないと思った。

 

参考1: 愛するということ エーリッヒ・フロム著、鈴木晶 訳、紀伊国屋書店、2020年発行、第1刷