作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

死に至る病を読む(12)、完結

 ついにこの時が来ました。死に至る病の第一章の四頁だけを読むシリーズの最終回です。これまでは、行くも地獄、帰るも地獄の絶望状態を説明してきました。しかし今回、たった一つだけ絶望を根絶やしにできる方法があるとキェルケゴールは言います。

 

 まずは岩波訳から
「そこで絶望が全然根こそぎにされた場合の自己の状態を叙述する定式はこうである、――自己が自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力のなかに自覚的に自己自身を基礎づける。」(参考1、P25から引用)

 

This then is the formula which describes the condition of the self when despair is completely eradicated: by relating itself to its own self and by willing to be itself the self is grounded transparently in the Power which posited it.
(拙訳)これは、絶望が完全に根絶されたときの自己の状態を説明する公式である。――自己自身を自己に関連付けることにより、そして(同時に)自己自身であろうとすることにより、自己は自己を断定した力に明快に基礎づけられる。
(解説その1)ここで私の英語力の無さに絶望しそうです。なぜここはconstituteではなくpositなのか、更になぜpositedと過去形なのか。
 間違いを恐れず順番に考えてみます。まず、なぜconstituteではなくpositなのか。岩波訳ではどちらも措定するとなっています。全体の流れから意味を汲むならば岩波訳が正確なのでしょう。
 前回までの英文では、自己を構成する関係を構成するときの「構成する」という動詞がconstituteであり措定と翻訳されていました。目的語は「関係」です。しかし今回の目的語はおそらく「関係」と「自己自身」を含む「自己」となっているため、positが使われているのではないでしょうか。ただし意味はやはり措定がぴったりくると思います。全然自信ないけど。
 次に、なぜpositedと過去形なのか。
 単に時系列が違うからでしょうか。The Powerが自己を断定(事実だと仮定)したのがある過去の出来事であるのでしょうか。
 あるいは、hasが省略されておりpositedは過去分詞なのでしょうか。それだと過去のある時点でThe Powerが自己を断定し、それが現在まで継続しているという意味になります。こっちの方がすっきりするのですが、そもそもhasの省略ってありなのかどうかが私には分かりません。
(解説その2)
 英語はともかく、どうしてこれが絶望から脱出するたった一つの方法なのでしょうか。

 絶えず変化する関係に対して自己自身を自己自身の基準にしようとするのは不可能だとキェルケゴールは言います。The Powerという何だかよくわからない言い回しですが、自分以外の何か大いなるものを基準にすることで自己は絶望から抜け出せるのです。溺れる人が自分自身を掴んでも沈んでいくだけですが、自分以外の動かない何かを掴めば助かることに例えられます。そのためには、自分が掴むべきものを色眼鏡をかけずに透明に明快に見ることが必要なのです。
 しかしこれとて容易ではありません。自分自身を基準にしないためには余程の覚悟が必要です。この本の後に出てきますが、キェルケゴールは正気を失うほどのことが必要だと言います。

 

 お察しの通り、これがキェルケゴールの信仰の定義です。
 宗教に入信することや一神教の神を信じること、仏門に下ることだけが信仰ではありません。日本には独自の仏教や神道がありますが、日本人の底にある信仰はやはり大自然とかご先祖様とか世間だと思います。お金は世間のカテゴリーに、家族はご先祖様のカテゴリーに含まれるのでしょう。戦時中は天皇陛下だったのでしょうか。今は世間信仰が強いご時世だと感じます。
 日本人は、自分は無神論者であり信仰心が無いとたやすく言がちですが、個人的にはその言い回しは止めた方がいいと思います。あまりに無自覚だからです。大自然やご先祖や世間といったドグマや何かのイデオロギーにすがらず、自己自身だけを支えに絶望的に生きる人を私はまだ見たことがありません。
 信仰は「自分とは何か」、あるいは「自分とはどのようにあるのか」という問いに対して一つの視点を与えます。哲学も認識できないが理想とするものを基準とし、そこから見た事象や人間、更には自分について論じます。神話の世界も神的な人智を超えたものが多く登場します。仏教は少し変わっていますが、自己に執着してはいけない。つまり基準を自分にしてはいけないと教えます。人間は認識外のものを考え出さずにはいられない存在であり、またそれを信じたい存在なのかもしれません。

 

 以上で4頁の読書を終わります。本書の残りは具体的な例が沢山出てきますので、気難しい絶望おじさんはサービス精神満点の絶望おじさんに変貌します。後半は聖書の知識が必要ですが、やはりこの4頁ほどは抽象的ではありません。
 それでは、絶望の旅に出発進行です!


参考1 死に至る病キェルケゴール著、斎藤信治訳、岩波文庫、第108刷
参考2 https://antilogicalism.com/wpcontent/uploads/2017/07/thesicknessuntodeath.pdf