作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

死に至る病を読む(11)

 忙しさにかまけてうっかり絶望するのを忘れていました。凡人である私は絶望に気付かないゼロ段階の絶望にいるので、しっかり勉強して絶望に気付いて自分自身でありたくない第一段階の絶望を目指したいと思います。ということで岩波文庫死に至る病(参考1)の1章の4頁だけを、英文(参考2)の助けを借りながら読みたいと思います。あと少しで4頁達成です。

 

 まずは岩波訳から
絶望における分裂関係は決して単純な分裂関係ではないので、自己自身に関係するとともに或る他者によって措定されているという関係における分裂関係である。――したがってかの自分だけである関係のなかでの分裂関係は、同時にこの関係を措定したところの力との関係のなかで無限に自己を反省するのである。」(参考1、P25から引用)

 

The disrelationship of despair is not a simple disrelationship but a disrelationship in a relation which relates itself to its own self and is constituted by another, so that the disrelationship in that self-relation reflects itself infinitely in the relation to the Power which constituted it.
(拙訳)絶望の分裂性は単純な分裂性ではなく、関係を自分自身に関連させ、そして自分以外のものよって措定された関係の中における分裂性である。
そのため、その自己の関係の分裂性は自己の関係の分裂性自身を、自己を措定した“力”との関係の中で永遠に反映し続ける。


(解説)Disrelationshipはdis‐relation‐shipなので関係しないことに関する抽象名詞です。辞書では無関係と出てくるので無関係性とか非関係性と訳しても良いかもしれませんが、後々キェルケゴールは絶望の形式は引き裂かれた状態、即ち分裂だと説明するので、分裂がぴったりです。素晴らしい訳だと思います。
 絶望は自分が引き裂かれた状態です。こうでありたい、こうに違いない、こうであるべきという自分の期待に対し、関係が自分を裏切り続ける状態です。
 So that以下の文は、例えば、落として割れてしまったお皿を元に戻らないと知っていながら両手でつなぎ合わせて反省し続ける状態に似ています。自分の不注意と割れたお皿がまるで合わせ鏡のように反響します。“不注意”、“割れた”、“つなぎ合わせても戻らない”、“どうしようと”いう無限ループが始まります。
 重力とかお皿の脆さだとか諸行無常だとかそういった自分以外の何か(Power)によって割れることが避けられなかったお皿なのですが、私は、私自身があたかもお皿の形を永遠に保持する能力を持っており、その能力を私の一瞬の不注意で手放してしまったためにお皿が割れたと反省を続けるのです。
 もしも自分が数千万円で買ったお皿を自分で割ってしまった場合を考えると、割れているのに気付かないのがゼロ段階の絶望、奥にそっとしまって割れたことを忘れたいとするのが第一段階の絶望です。自分が割ったと認めるものの、買った時にひびが入っていたと裁判を起こしたり誰かが割れる細工をしたと警察沙汰にするのは絶望の第二段階かもしれません。

 

参考1 死に至る病キェルケゴール著、斎藤信治訳、岩波文庫、第108刷
参考2 https://antilogicalism.com/wpcontent/uploads/2017/07/thesicknessuntodeath.pdf