作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

死に至る病を読む(8)

みんなー!絶望してるかーーい!

というわけで今回も絶望おじさんことキェルケゴールにいろいろと教わりたいと思います。岩波訳がいかに素晴らしいか、どういう風に素晴らしいのかも英文(参考2)から時々見えるようになってきました。今回もネット翻訳とネット辞書をこねくり回して頑張ってみたいと思います。

 

岩波訳
〔自己が絶望して自己自身であろうと欲しうるのは一体何によるのであろうか?〕それは自己という全関係が全く依存的なものであり、自己は自己自身によって平衡ないし平安に到達しうるものでもまたそういう状態のなかにありうるものでもなしに、ただ自己自身への関係において同時にその全関係を措定したものに対して関係することによってのみそうであることを示しているのである。」(参考1 P24より引用)

 

This formula [i.e. that the self is constituted by another] is the expression for the total dependence of the relation (the self namely), the expression for the fact that the self
cannot of itself attain and remain in equilibrium and rest by itself, but only by relating itself to that Power which constituted the whole relation.
(拙訳)この形式(すなわち自己が自分以外のものによって措定されている形式)は、関係(言い換えると自己)の全部の依存性を表現しています。それは、自己が自己自身では平衡状態に達しそれを保つことは出来ず、自己自身によって休息することはできないことを表現し、ただ自己それ自身は単にすべての関係を措定した“力”に関連するという事実を表現するものです。
(解説)岩波訳の最初の括弧は英文にはありません。翻訳の斎藤先生が追加されたものだと思います。

 自己を措定するのは自分自身かあるいはそれ以外の2つだけだという話がありました。ここでは自己を措定する自分以外のものをPower=力としています。Pが大文字であることから、固有名詞的な扱いだと思います。そうだとするとGodでも良さそうなものですが、キェルケゴールキリスト教だけについて語っているのではなく普遍的な信仰を語ろうとしているので、Powerという言葉を使ったのだと思います。
 自分を措定したものが自分以外のものであるということは、常に自己が変動すること、常に外部から揺さぶり続けられることを意味します。すると、自分を自分で安定させることは不可能であり、休む暇などないのです。これが絶望の形式の基本だと思います。
 仏教で言うところの「一切皆苦」、「人生はドゥッカ(苦しみ)に他ならない(参考3)」、にも通じるのかなと思いました。

 

続く。


参考1 死に至る病キェルケゴール著、斎藤信治訳、岩波文庫、第108刷
参考2 https://antilogicalism.com/wpcontent/uploads/2017/07/thesicknessuntodeath.pdf
参考3 ブッダが説いたこと ワールボラ・ラーフラ著 今枝由郎訳 岩波文庫 第7刷 P56