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哲学入門(バートランド・ラッセル著)7章 メモ(5)

哲学入門(参考1)の7章、P95の15行目からのメモです。


<要約1>
 論理学も純粋数学アプリオリである。経験論者は2+2=4は経験から帰納されるものだと主張するが、それは間違いである。2+2=4に関する個別事例から個別性を取り除くと一般原理が見える。一般原理が見えると他の個別事例による検討は不要になるからである。
 (一般原理は)幾何学でも同じことが言える。例えば三角形のある性質を一つの三角形から証明すると、別の三角形の個別事例を持ちだす必要はない。
 (この一般原理は)新たな個別事例を持ちだして正しいことを述べたとしてもその確実性の程度は変わらない。それは必然性と呼ばれる。これに対して経験的一般化は新たな個別事例を数多く持ちだしたとしても必然的ではない。
 (一般原理は)ただの事実ではなく、現実的であろうと可能的であろうとすべてが従うべき事柄だ。(参考1 P95、15行~P97、6行)
<読書メモ1>
 2+2=4は純粋数学である。カントの純粋理性批判によると純粋数学は「常にア・プリオリな純粋認識だけを含み、経験的認識を含むものではない」(参考2 P79)と説明される。経験的認識とは個別事例を使って帰納法によって得られた知識のこと。
 ラッセルはアプリオリな知識によるものを一般原理と呼び、それに対して経験から帰納的に得られた知識を経験的一般化と呼ぶ。一般原理はすべてが従うべき事柄であり、それに対して経験的一般化は必然的になることはない。
 可能的という言葉は、ガリバー旅行記に出てくる不死の人を例に挙げて説明されている。

 

<要約2>
 「すべての人は死ぬ」のような経験的一般化について考察すればもっと明確だ。これは死ななかった人を知らないという経験に基づいている。不死の人が登場するガリバー旅行記は受け入れられても2+2が5になるおとぎ話は受け入れ難い。前者と後者はレベルが違うのだ。
 我々は、2+2を個別事例から推論することなく一般原理を用いて4を導く。
 演繹:一般原理から一般原理(が推論される)。一般原理から個別事例(が推論される)。
 帰納:個別事例から個別事例(が類推される)。個別事例から経験的一般化(が類推される)。
 (参考1 P97、7行~P98、10行)
<読書メモ2>
 不死の人が出てくるおとぎ話の例はガリバー旅行記にある。これはおとぎ話として読める。反証が成立するかもねっていう説が、帰納法だ。
 しかし、選択肢A、Bと選択肢C、Dのどの選択が正解かという問題の正解が選択肢Eという試験問題が出る世界や、二人の小学生と二人の高校生がグループを作ると知らないおじさんがもれなく一人現れるおとぎ話はただ混乱するだけかもしれない。一般原理から一般原理が推論できない(2+2=5からx+x=2x+1が正解かどうかを推論できない)、あるいは5番目に出現するもう一つの何かを推論できないならば、2+2=4は演繹で得られた一般原理だ。これで合っているのかな。

 8章で出てくるが、ラッセルは演繹で得られる知識は必ず経験をきっかけとしていることが重要で、それを元にカント哲学を部分的に批判している、みたいだ。だから今日のところは8章のテストに出ますよ~。頑張れ私!


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、第二十刷

参考2 純粋理性批判(上) カント著、篠田英雄訳、岩波文庫、第72刷