作文練習

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哲学入門(バートランド・ラッセル著)11章 メモ(1)

ラッセルの哲学入門(参考1)11章に入ります。抜粋と読書メモの続きです。英文(参考2)を参照して多少文章を変えている部分もあります。

P137、1行~10行
 私たちが信じることはどれも証明可能で蓋然性が高く、根拠を示せないことは不合理だと思う人は多い。大筋では正当だ。ほとんどの常識的信念は、根拠となる信念から推論されたか推論可能であるものだ。
 しかしその根拠は忘れられ意識されないこともある。たとえば「今食べているものは毒ではない」ことの根拠を自問したとき、今ここにその根拠が無くても、いずれは見つかると考えている。普通そう信じるのは正当である。
<読書メモ>
 本章は哲学が哲学である所以を示す。哲学は普段考えない常識をつきつめて、我々の認識と判断の限界を明確にする。期待してます、ラッセル先生。
・蓋然性が高い be highly probable
・正当だ be justified

 

P138、1行~15行
 だがソクラテス的な人は、こちらが根拠を挙げても更にその根拠を問うてくる。そしてついには根拠を見出せない状況に追い込まれてしまうに違いない。
 常識的信念の根拠を掘り下げると、他の明証的なものから演繹的に導くことができないきわめて明証的と思われる一般的知識や実例に行き着く。
 たとえば「この食べ物には栄養がありそうで毒はなさそうだが、本当にそうか」といった日常の問いは大半が帰納原理に追い込まれる。帰納原理は意識的あるいは無意識的に論証に使われるが、(帰納)原理そのものは論証不可能である。
 より単純な明白な原理から始まって帰納原理に終わる論証は存在しない。その他の論理的原理も同様だ。真理が明白な場合、私たちはそれを起点に証明を行うが、その原理そのものは証明できない。
 <読書メモ>
 プラトンの国家でソクラテスの議論が多く紹介されているが、確かにソクラテスは論敵の信念の根拠をひたすら問うていく。そして実例が出てくるとその実例を根拠にして違う角度から概念を定義する。その定義自身は論敵の示す実例から導かれたものだから論敵も納得するのだが、それを何度か繰り返すと論敵の最初の主張とは似ても似つかぬ結論に至ってしまうのだ。
 信念や価値観、正義感に関する議論は結論に至らないことが殆どだ。それは、互いの持つ実例が異なり、従って実例から導かれる信念も異なっているからだろう。私たちは私たちが信念として持っているものを、少なくとも一度は批判しなければならない。
 ・明証的 evident
 ・帰納原理 inductive principle
 ・証明 demonstration

 

参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm