作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド (読書感想文)

 カントは純粋理性批判の冒頭で「人間は理性が斥けることもできず、答えることもできない問題に悩まされる運命にある」と言っている(参考1 P13 )。「不死(魂の永遠)」はその「斥けることも答えることもできない問題」の一つである(参考1 P43)

 

 「不死」はこの小説のテーマだ。この小説の27章は全体の構造を解説する非常に重要な章となっている。この章のサブタイトルは「百科事典棒、不死、ペーパー・クリップ」(参考2 下巻P145)

 

 作中で博士は、思念の中に入った人間は不死でありそれは百科事典棒に似ていると主人公に説明する。百科事典棒とは、楊枝に一か所だけ刻みを入れたものだ。

 

 楊枝の長さに対して、刻みの位置の割合を小数点以下無限に続く数値で表わすとする。すると一つの刻みは無限に続く数字を表し、それは即ち無限の情報だと言える。

 

 こうやって百科事典がたった一つの刻みで出来上がる。百科事典どころかこの世界すべてを表すことも可能である。宇宙の始まりから終わりまでの全部の情報をたった一つの刻みに閉じ込めることさえ可能である。村上春樹は作中の博士に、それが思念に入ることであり不死の例えだと説明させている。

 

 村上春樹は恐るべき作家だ。カントが純粋理性批判の中で述べている時間と空間、認識、理性、不死を鮮やかに物語に落とし込んでいる。村上作品は、暗く狭いところに閉じ込められるファンタジーが多く、また、独特の言い回しもあって拒否反応を示す人も多いと聞く。しかし、底は浅くない。

 

参考1 純粋理性批判(上) カント著、篠田英雄訳、岩波文庫、2020年、第72刷

参考2 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上)(下) 村上春樹著 新潮文庫、2013年 第7刷、(初版、新潮社 1985年)