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哲学入門(バートランド・ラッセル著)15章 メモ(7)

 ラッセルの哲学入門(参考1)15章「哲学の価値」の、抜粋と読書メモです。

 

P193、3行~16行
  知識は自我と自我ならざるものとの統一だが、一方が他を支配すると上手く行かない。つまり自分の中にあるものに宇宙を従わせようとすると知識は損なわれ、魂に偉大さをもたらすことはない。


 近年、「真理は人の作り出したもので、空間も時間も普遍の世界も精神の性質である。精神が作り出したものでないものは私たちには認識不可能であり、どうしようもないものだ」という哲学的傾向があるが、この見解は正しくない。


 この見解は観想を自我に縛り付けているため、哲学の価値を奪ってしまう。この見解による「知識」は自我と自我ならざるものとの統一ではなく、偏見・習慣・欲望である。そのため私たちと世界との間に壁を作ってしまう。


 こんな知識論は、自分の言語が力を失うのを恐れて家族や友人たちから離れないようなものだ。

 

 

<読書メモ>
 ラッセルは意図していないかもしれないが、私はこの部分をカント批判として読んでみたい。


 カントの純粋理性批判には「対象が我々の認識に従って規定せられねばならない」(参考3、P33)という記述がある。普通の感覚では、机が存在するから人は机を認識するのだが、カントは、人は人の認識能力がおよぶ範囲でその対象を机だと判断していると言う。ラッセルはこれに「そんなわけねーだろ!」と突っ込みを入れているようだ。


 ラッセルの哲学入門の8章では、カントが「物自体」と表現したところの、人間が知り得ない得体の知れない「物自体」という何かを批判している。カントは「物自体」を直観して認識するには時間と空間という形式が必要だとしているが、ラッセルはそれさえも偏見や欲望だとしている。


 なぜなら、カントは空間と時間を「感性の純粋形式」であり「ア・プリオリな認識の原理」としているからだ。ラッセルとしては空間と時間を人間の持つ形式、即ち人間が作ったものだと考えることに違和感があるのだと想像する。

 

 さて、ここで私が考えねばならないことは、そのカントの哲学の考え方は「自我の拡張を妨げるものなのか?」ということだ。ラッセルの「哲学の効用は自我の拡張だ」という意見に私は共感できる。そうであれば、もしカント哲学をもって自我の拡張が可能なら、それはそれで私的には両方OKだ。

 

 これについてカントは純粋理性批判の序文で非常に繊細な説明をしている。以下、純粋理性批判からの引用。


 「本書を卒読した人は、思弁的理性をもって経験の限界を超えることを敢えてしないというのが本書の効用だとういが、それではまったく消極的な効用にすぎないのではないか、と考えるかも知れない。ところがこれこそ、実際にもこの形而上学の最も主要な効用なのである。


 しかし思弁的理性が、自分の限界を超出しようとする場合に用いるところの原理は、我々の理性使用を狭ばめるという必然的結果を生ぜざるを得ないことを知るならば、如上の消極的効用は、忽ち積極的効用に化するのである。


 つまりかかる原則は、もともと感性に属するものであるにも拘らず、実際には感性の限界をどこまでも拡張して、純粋な(実践的)理性使用すらも駆逐し兼ねないからである。 


 それだから我々の批判は、思弁的理性に制限を加えるという点ではなるほど消極的であるが、しかしまたそれと同時に他方では、理性の実践的使用を制限したり或はこの実践的使用を減却し兼ねないような障碍を取り除くものであるから、実際には積極的でしかも甚だ重要な効用を有するのである(参考3 P39~P40、段落分けは本ブログ作者による )

 

 つまりカントは、「人間の認識の限界を見極めるということに異論はないが、そうすることで、人間が認識できないことまで認識したと勘違いする実害に気付くことが出来るよ」と言っている。多分。


 例えると、誰もいない暗闇で音がしたとき、音がしたと認識することに異論はないが、それだから幽霊がいるとか、お祓いをした方がいいとか、お祓いには〇〇万円必要だとか、そういうことを勝手に際限なく付け加えてはいけないということだ。


 ラッセルは、幽霊という自我の外の主張を綿密に調べて知識かそうでないかを決めろと言い、カントは幽霊が自分の認識の中にあるのか外にあるのかを常に批判的に見ろと言っている。多分多分。

 

 自分の中にないものに出会った時にそれをどう扱うかという方法が違うだけで、ラッセルもカントも自分勝手に何かを決めつけるということはNGだと言っている。だから私個人的にはどちらもOKと考えたい。

 


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm
参考3 純粋理性批判(上) カント著、篠田英雄訳、岩波文庫、第72刷