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哲学入門(バートランド・ラッセル著)9章 メモ(7)

 ラッセルの哲学入門(参考1)9章の抜粋と読書メモの続きです。ここでもカント批判がなされます。カントも読まなくちゃ!

 

P120、16行~P121、4行

 普遍(という実体)がなければならないことが分かったので、次は普遍が心的なものではないことを証明していこう。心的でないということは、それが考えられたりすることや心の働きによって把握されることから独立であるということだ。

<読書メモ>

 おっとっと。まだ普遍が心的なものとは関係ないということは証明されていなかったのか。焦らず講義について行こう。

 

P121、5行~14行

 「エディンバラはロンドンの北にある」という命題について考える。二つの場所の関係は私たちが知るのとは独立に成立する。私たちが信じることによって成立するものではない。その命題を知る以前から存在していたものを私たちが捉えたにすぎない。たとえ心がこの世に存在しなくてもこの関係は変わらない。

 多くの哲学者がこれをバークリーやカントがあげた理由から否定してきたが、それが間違いであることは既に明らかにした。

<読書メモ>

 すみません。バークリーは読んでません。なので、カントに関する部分だけ考えてみる。ラッセルが批判するカントの認識とは以下の部分を含むものだろう。

 カントは「対象が我々の認識に従って規定せられねばならない(参考3 P33、4行目)し、「空間という純粋直観は、感官や感覚などの対象が実際に存在していなくても、我々の心意識における単なる感性的形式として、ア・プリオリに成立するのである(参考3 P87、17行)と言った。カントにとってはあくまで認識が問題なのであり、事実も私たちの認識を通してでしか捉えることができないと言うのだ。

 これに対しラッセルは認識に先立つ事実があるじゃないかと反論する。人間がいなくてもロンドンが北にあるという事実があっても良いとする。

 ラッセルの言うことは私自身の常識にも一致する。

 

 

参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷

参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm

参考3 純粋理性批判 カント著、篠田英雄訳、岩波文庫、2020年、第72刷