【読書感想文】 人間的、あまりに人間的Ⅰ
ニーチェの「人間的、あまりに人間的Ⅰ」(参考1)はアフォリズム集(短文を集めたもの)なのでランダムに読んでいるところだ。今回は二二九(P250 )の感想文を書いた。
以下、引用。
束縛された精神はそれらが正しい、という。
第一に、永続する事柄はすべて正しい、
第二に、われわれに重荷にならない事柄はすべて正しい、
第三に、われわれに利得をもたらす事柄はすべて正しい、
第四に、われわれが犠牲を払った事柄はすべて正しい。
第一の「永続する事柄はすべて正しい」には衝撃を受けた。もしこれが正しくなければ文化さえ成立しないのではないか。何を言ってるんだ、ニーチェ先生。しかし無視できない強い言葉だ。
おそらくニーチェが批判しているのは、正しいと思いたいという人間の本能的な部分なのではないだろうか。永続する事柄は存在する。しかし、それに正誤の判断を持ち込むことは精神の束縛を意味する。
例えばSDGsは持続可能な発展を目的とする事柄の集まりだ。持続するものや持続を可能にする活動や努力は勿論あるだろう。しかしそこに肥大した正義が持ち込まれることがあれば精神は束縛され、ついには自由が放棄される。
第二、第三も同じだ。負荷を減らし利得をもたらすのは経済原理であり技術発展の動機でもある。ただし経済と技術の発展を集団の正義として絶対視するならば、相手の存在を許容しない争いへとつながっていく。
そして第四の恐ろしさはとても分かり易い。本文から引用しよう。「たとえば、なぜ国民の意に反して始められた戦争も、まず犠牲が払われてしまうと感激をもって続けられるのか、を説明する」
犠牲は集団の団結と高揚をもたらす。為政者がこれを利用しない手はない。