作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

体の不調と認識の歪み

 認識の歪が体の不調を招くこともある。

 

 必ずしも自分と誰かのトラブルではなくても、自分が所属する集団の中の諍いに巻き込まれるとストレスを感じる。簡単には解決しない諍いは大抵の場合、大義と偏狭が同時にあるので厄介だ。

 

 こうしたトラブル自体はよくあることだが、長引くと自分の体調を崩すこともあるので気を付けなければいけない。体調が悪化している時はトラブルメーカーを恨んでしまう。ただ、そこばかりに気を取られては駄目だ。実は自分自身の認識が歪んでいることも気にしなくてはならない。「私の体調が悪いのはあの人のせいじゃなくて私のせいだって言うの?」と怒られそうだが、おそらく半分くらいはそうなのだ。


 自分が悪く思われることを過度に避け、その場の摩擦を回避することばかりに気をとられていないか。あるいは、必ずしも起きるとは限らない未来のトラブルについて考えすぎてはいないか。トルストイの小説「イワン・イリッチの死」(参考1)で主人公が気付いた通り、自分を苦しめているものの正体は自分の認識なのだ。

 

 必要以上に考えること、特に感情を処理するために考えることは、単純に同じ事をぐるぐる考えるだけでも恐ろしくエネルギーを消費する。これは普通の仕事やスポーツで消費するエネルギーと比べて桁違いに大きい。大きいだけに認識を間違うとあっという間に自分で自分の気力と体力を削っていく。


 「行動と感情における自由と公平さ」(参考2)とはラッセルの言葉だが、自分の客観性を担保することはしみじみ重要だと思う。哲学や小説に出てくる認識の話は賢い人のためだけにあるのではない。庶民が日々の生活で思い悩むことのためにあるのだ。

 

 

参考1 イワン・イリッチの死 トルストイ著、米川正夫訳 岩波文庫、第87刷、2020年

参考2 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、第20刷、2018年