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哲学入門(バートランド・ラッセル著)13章 メモ(8)

 ラッセルの哲学入門(参考1)13章「知識、誤謬、蓋然的な見解」の、抜粋と読書メモの続きです。

 

P168、12行~P169、6行
 第二種の自明性は、複合物を知覚することではなく、はじめから判断に属する。この自明性は、最も高い段階に属するものから低いものまで様々な程度のものがある。
例として、馬の蹄の音が遠ざかることを想像してみよう。最初は間違いなく馬の蹄の音だと確信しているが、馬が遠ざかるにつれその音は小さくなり、ついには「もはや自分は何も聞いていない」と考え、「自分は何も聞いていない」と知る。しかしこれ(考え、知ること)は、センスデータの自明性ではなく、センスデータに基づく判断の自明性である。
 もう一つの例として、青と緑を並べて二つの色が異なると強く確信している場合、青を次第に緑に近づけていくことを考えてみる。次第に二つの色の違いを見ているかどうかが疑わしくなり、最後は何の違いも見ていないことを知る瞬間が来る。
 楽器のチューニングも同じ例として挙げられ、これらの様に連続した推移がある場合は常に起こる。このように、この種の自明性は程度問題だ。自明性の高いレベルのものが低いレベルのものより信頼できることは明白だ。

 

<読書メモ>
 グラデーションを持つ自明性を比較するとき、それらの対象が数値化できる場合、統計的手法がよく使われる。統計的手法はある約束の範囲において、二つの値が同じかどうかを判定するときや、ばらばらとした値に傾向があるかどうかを判定するときに使われる。判断はあるお約束のもとに機械的に行われるので、厳密ではないにせよ客観性を担保しているという技術者間の共通認識が形成されている。科学の世界では共通の言語として通用する極めて便利な概念だ。
 判断に属する自明性には様々な程度があるとラッセルは述べているが、統計的手法は対象を数値化できる場合に限り「程度」を言語化する概念だと言える。

 


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm