作文練習

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哲学入門(バートランド・ラッセル著)11章 メモ(10)、11章完了

 ラッセルの哲学入門(参考1)11章の、抜粋と読書メモの続きです。11章は今回で完了です。

 

P144、15行~P145、9行
 命題は真ではないものの、ある程度自明性を持つ場合もある。だからといって自明性と真理は関係ないとする必要はない。信念が衝突した場合、より自明な方を残して他方を捨てれば良い。それゆえ自明性が度合いを持つことは、知識の理論にとって重要だ。
 一方で、今までの説明では、真理を示す自明性とそうではない自明性の区別の説明がなされていない。これについては今のところ議論を進めることはできない。真理の本性を扱った後で、知識と誤謬の区別に関連させつつ、自明性という主題に戻ることにしよう。


<読書メモ>
 抽象的なことしか書かれていないのだが、科学を例として考えれば理解できる。Aという仮定が帰納法によって確からしい(最高度ではないにせよ自明性が担保されている)とされていたところに、同じ現象を説明するBという新しい仮説が現れ、A説とB説が衝突したとする。この場合、自明性が高く真理に近い方か、あるいは複雑ではない方が残され、そうでない方は捨てられる。
 天動説と地動説を例に挙げてみる。宗教的な解釈は別として、数学的に惑星の運行を計算するのであれば、実は天動説でも地動説でもどちらでも構わない。座標をどう置くかに違いがあるだけで、数学的な真理の重さは天動説も地動説も変わらない。しかし計算の複雑さに関しては、天動説は恐ろしく複雑なのに対し、地動説は遥かに単純でエレガントである。よって天動説は捨てられ、地動説に高い自明性があるとして扱われたのだと思われる。
 前回の当Blog(哲学入門(バートランド・ラッセル著)11章 メモ(9))で私には理解できなかったと書いた「論理学や数学の真理は複雑でなればなるほど自明性が弱くなる」という箇所については、この天動説と地動説の例えを持ってくれば上手く理解できそうだ。


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm