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哲学入門(バートランド・ラッセル著)11章 メモ(3)

ラッセルの哲学入門(参考1)11章、抜粋と読書メモの続きです。

 

P139、5行~6行
 倫理学の原理にも自明なものがある。「私たちは善を追求すべきだ」がその一例だ。
<読書メモ>
 うーん、この命題は自明なのか?善であるべきだ、ではなく追及すべきだ、とあるので善とは何かはまあ置いとくとして、次は、自明なのかな?と考えて、倫理学ってそういうもんか、と半分納得したところで別の考えが浮かんだ。
 「良いこととはなにか?」と誰かに質問した時、かなりの確率で返ってくる回答が「絶対的に良いことなんて無い。我々にとって良いことが誰かにとって良いこととは限らない」というものだ。
 絶対的な善を追求するには、個別から普遍を取り出して命題を組み上げ、その自明性を検証するという思考が必要だ。そういった思考形式は、私を含め周囲の人は苦手なんじゃないかと思ってしまう。広げすぎかもしれないが、日本人の多くはその思考が苦手なんじゃないだろうか。
 「絶対的な善はないよ。だって人それぞれだもん。絶対的な善を言う人なんて強情で偽善者でカルト宗教っぽくて嫌だな。」という感じで自己弁護しながら思考停止を許してしまう。もしかしたら、思考停止していることにすら気付いていないのかもしれない。
 欧米人はすぐに国際統一規格を作り、日本は常に後塵を拝して不利な制約を受けているという例をよく聞く。スポーツのルールでも似た様な話は聞く。

 ルール作りには個別から普遍を取り出して命題を組み上げ、その自明性を検証するという思考形式が必要なのだ。
 Universalの訳語は、ネット辞書のWeblioによると「一般的な、普遍的な、例外なく当てはまる、広く行われている、万人(共通)の、全員の、世間一般の、万国の、全世界の、万能の」である。このUniversalを理解するには、背景にある歴史からこつこつと学ばねばならないのではないだろうか。

 (「私たちは善を追求すべきだ」 We ought to pursue what is good.)

 

参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm