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哲学入門(バートランド・ラッセル著)11章 メモ(5)

 ラッセルの哲学入門(参考1)11章の、抜粋と読書メモの続きです。

P140、2行~12行
 感覚から得られるものも自明な真理の一種だ。これを「知覚の真理」と呼び、その判断を「知覚判断」と呼ぶことにする。
 しかし(ただし)、この場合には自明な真理の正確な本性を捉えるために注意が必要になる。現実のセンスデータは真でも偽でもない。たとえば一つの色片はただ存在しているだけであり、真や偽になる類のものではない。色片があること、形や明るさがあること、他の色に囲まれていること。これらは真である。しかし色片そのものは、その他の感覚の世界にあるすべてのものと同様に、真偽とは根本的に異なるものだ。それゆえ真とは言えない。
 したがって感覚から得られる自明な真理はセンスデータとは異なる。
 真理はセンスデータから得られるが、センスデータと同じではない。


<読書メモ>
 ・自明な真理 self-evident truths
 ・知覚の真理 truths of perception
 ・知覚判断 judgements of perception
 ・現実のセンスデータ actual sense-data
 ・正確な本性 precise nature
 ・根本的に radically
   (真偽とセンスデータは”根本的に”異なる、より) 


 本段落を短く要約してみた。
「感覚から得られる情報は自明でありそこから真理が導かれるが、真理に至る判断に多くの注意が必要だ。また、感覚から得られる情報は真や偽として存在するものではない。」

 

 例えば、Aさんが酷いことを言ったという噂を聞いたとして、その発言やその場の状況を検証し、噂の正誤を確認することは可能だ。しかし、いくらその噂を検証しても、Aさんの真意、Aさんを取り巻く人間関係、これまでの経緯から構成されるAさんの正確な本性は分からない。

 

 他の例として、踊る大捜査線の名セリフ「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」がある。このセリフの本意は「偉い人が部屋に籠って考えていることは的外れだ。現場の言うことをよく聞け。」ということなのだが、ひとまずそれは置いておく。
 現場で起きている事象の一つ一つがセンスデータとすると、現場では如何に正確なセンスデータを集めるかということ、つまり発言はいつ誰のものか、物証はどこにどんな状態で存在したのかを明確にすることが求められる。一方会議室では、複数の現場から寄せられるセンスデータを組み合わせて事件の真相を判断しなくてはならない。現場で起きているセンスデータをもとにして事件の真相が明らかになるが、個別の証拠は事件の真相とは異なるのである。
 判断は注意深く行われなくてはならない。個別の証拠をもとに行われる判断が適切でない場合、織田裕二に怒られるのである。

 

 私たちは、感覚から得られた自明性と事象の真偽の”判断”は別のものだということを肝に銘じなければならない。

 ネット炎上やフェイクニュースによる混乱は常にこれらが混同されて起きる。切り取られたデータを元にある人が印象を述べ、感性の近い人達がその印象こそが正確な真理の本性だと口々に叫ぶのだ。それは時として、あたかもターゲットとなる人の心の中まで見通した真理だと判断され、ありもしない生粋の悪人が世論によって形成されてしまうこともある。

 

参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm