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哲学入門(バートランド・ラッセル著)13章 メモ(6)

 ラッセルの哲学入門(参考1)13章「知識、誤謬、蓋然的な見解」の、抜粋と読書メモの続きです。

 

P166、15行~P167、16行
 第11章の最後で自明性には真理の絶対的な保証を与えるものと部分的にしか保証しないものの二つがあるとした。いま我々はその区別ができるようになった。
 ある真理に対応する事実が面識されているとき、第一の意味で(真理の絶対的な保証を与えるものという意味で)自明だと言える。
 「デズデモナがキャシオを愛する」というオセロの信念が真であるならば、デズデモナのキャシオに対する愛という事実がある。しかし、デズデモナ以外誰もこの事実を認識できないので、この事実はデズデモナにとってのみ自明である。このように心的な事実およびセンスデータに関する事実はすべて私秘性を持っている。
 センスデータを面識できるのは一人だけなので、センスデータに基づいた事実が自明であるのも一人に対してだけである。このように、存在する個物に関する事実で複数の人に対し自明であるものはない。

 一方、普遍についての事実は私秘性を持たない。多くの心が同じ普遍を面識でき、普遍のあいだの関係もまた面識を通じて人々に知られる。何かの項が何かの関係を持つことによる複合的事実を面識している場合に、それらの項がその関係を持つという真理はつねに絶対的な自明性を持つとしよう。この場合「それらの項はその関係を持っている」という判断は間違いなく真である。それゆえこの種の自明性は絶対的に真理を保証するのである。

 

<読書メモ>
私秘性 privacy

 

 事実とは何を意味するか。心的なものやセンスデータの面識をもって事実だとするとき、それが私秘性を持つならばその事実はその人だけのものだ。それに対して普遍についての事実とは「多くの心が面識でき、普遍間の関係も面識を通じて人々に知られるもの」と定義される。事実は私秘性と普遍の二つの間のどこかに存在し、明確に分離できないものもある。
 事実という言葉はこの違いを無視して使われがちなので注意が必要だ。
 日常的な工学の世界でも、ある現象を一つのデータだけで議論することはほぼない。幾つかの異なる測定方法で測定したデータで確認したり、現象が生じる際の条件を幾つか変えて得られるデータが仮説に従って変化するかどうかを確認したりして議論を行う。
 工学において一種類のデータを私秘性の高い事実と呼ぶことは無いが、事実を普遍かそうでないかと認識する過程としては似ているので書きとめた。工学において蓋然性を高めるには何度も再現性を確認する必要がある。その過程がなければ恐ろしくて工場で製品は作れない。

 


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm