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哲学入門(バートランド・ラッセル著)13章 メモ(5)

 ラッセルの哲学入門(参考1)13章「知識、誤謬、蓋然的な見解」の、抜粋と読書メモの続きです。

 

P165、7行~P166、13行
 誤りえないという意味で、ある種の真理を自明なものとしてそれ以外のものから区別する可能性がある。
前章では、「信念が真ならば、信念の対象から形成された複合物である事実が存在する」とし、そうした信念が、今まで論じたいくぶん曖昧な条件を満たすなら、それは対応する事実についての知識と言ってよい。
 しかし私たちは事実を知るときに、信念からなる知識だけでなく知覚からなる知識を持つこともできる。
 たとえば、日没の時刻を知っているなら、その時刻に太陽が沈むという事実を知ることができる。これは真実の知識による事実の知識だ。実際に日没を見れば、ものの知識によって同じ事実(その時刻に太陽が沈むこと)を知ることができる。

 複合的事実の知り方には二通りある。
#1 判断によるもの
 ・・・ いくつかの事実が関連しているのと同じように、いくつかの判断は関連していると判断される
#2 複合的事実それ自体を面識することによるもの
 ・・・ 知覚と言ってもよいが、感覚器官によるものに限定されない

#1は、他の判断と同様に間違いやすい。
#2は、複合物を作る関係をその部分が実際に持っているときだけ通用する。
 
 #1は(#2と反対に)、部分と関係を別々に与えるので、関係が部分を結び付けていなければならないのだが、実際は結びついていないのにそういう事実があると判断される間違いを起こすことがある。

(#の付与は本ブログ作成者によるもの)

 

<読書メモ>
 #1は、名探偵コナンが容疑者Xのaさん殺しを推理すると例えられる。コナン君は容疑者Xのアリバイや現場に残った物的証拠、ヒントとなる目撃情報などから推理を行う。アリバイや物的証拠は「部分」であり、コナン君の推理という「関係」によって結び付けられている。

 しかし、コナン君ではない素人探偵ワトソン君が推理した場合、「部分」の選び方や並べ方が間違っていることが多いので、ワトソン君の推理という信念は偽であったりする。ところでワトソン君って誰だ。
 一方で、#2は、名探偵コナンが容疑者Xのaさん殺しを直接目撃した場合に例えられる。コナン君の<容疑者Xがaさんを殺した>という複合物の判断は、コナン君の目撃という知覚によって真になる。


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm