「語りえぬものを語る」 読書メモ(第10章、その1)
本書(参考1)はウィトゲンシュタインの研究者である野矢茂樹氏の著書だ。難しいので抜粋とメモを残しながら読みたい。本記事は10章に関する。本章はグルーとブリーンという思考実験に関する説明をもとに、デイヴィドソンへの反論がひとまず完了する。
以下、本文抜粋。
P165
ネルソン・グッドマンの「グルーのパラドクス」という帰納に関する思考実験を紹介する。これは相対主義に密接にかかわっている。
経験を一般化することを帰納と言う。これは論理的に埋めきれない跳躍を含む。これがヒュームの議論だ。
<私的メモ:註で解説されるが、例えば、明日も太陽が昇るということは経験に基づく帰納であり確定した未来ではない。これを一般化することは論理的には無理であり、限りなく確からしさを高めることしかできない。>
時刻t以前(現在および過去)と時刻tより後(未来)によって色の呼び名を変えるグルー人を仮定する。我々がグリーンとブルーと呼ぶ色を、グルー人は時刻によってグルーとブリーンと呼び名を変える。
<私的メモ:これを下表にまとめた。
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我々の認識 グルー人の認識
現在・過去・未来 現在・過去 未来
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グリーン グルー ブリーン
ブルー ブリーン グルー
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私的メモ終わり>
我々とグルー人は異なる概念枠と異なる言語を持っていることは明白である。しかし、我々のグリーンとブルーは、グルー人のグルーとブリーンで定義することが可能である。ここで、翻訳可能であるにもかかわらず異なる概念枠が存在すると著者は直観するが、論理哲学論考(参考2)とデイヴィドソンからはこの考え導くことが出来ない。
グッドマンの思考実験は「翻訳可能であっても異なる概念枠がある」ことを示すものであり、つまりは異なる概念枠は異なる論理空間と同義ではないことを示すと言える。
ただし、翻訳可能であるからといって、その概念を使いこなせるとは限らない。使いこなせない概念は我々の概念とは異なる。ここで著者は、デイヴィドソンは間違っていると結論し、新たな考察への緒端を見出した。
参考1 語りえぬものを語る 野矢茂樹著 講談社学術文庫 2020年、第1刷
参考2 論理哲学論考 ウィトゲンシュタイン著 野矢茂樹訳 岩波文庫 2018年第23刷(2003年第1刷)