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哲学入門(バートランド・ラッセル著)12章 メモ(6)

 ラッセルの哲学入門(参考1)12章「真と偽」の、抜粋と読書メモの続きです。

 

P149、6行~16行
 この三番目の要請(真偽は信念の性質であるものの、信念とそれ以外のものとの関係に依存している)から、「信念と事実の間の、何らかの形式における対応から真理は成り立っている」という見解が出てくる。
 しかし、この見解については反論されない対応の形式を見つけるのは難しい。この難しさに加え、部分的には「もし真理が思考と外の何かの対応からなるのだとすれば、真理が得られたということが思考を通じて知ることができなくなるのではという感覚」を理由として、「信念と事実の間の、何らかの形式における対応から真理は成り立っている」という見解を否定する試みが哲学者により為されてきた。
 その試みで重要なものは、「真理は斉合性(coherence)にある」とする理論である。その理論は、私たちの信念群と斉合しないことは偽であるとし、各信念の真理の本質は「真理そのもの(The Truth)」という完全な体系の一部になることである。
 
<読書メモ>
 この辺から難解になってくる。


 上記の「反論されない対応の形式を見つけるのは難しい」の英文は、It is, however, by no means an easy matter to discover a form of correspondence to which there are no irrefutable objections.であり、Google翻訳にかけると「しかし、反駁できない異議がない対応形態を見つけることは決して容易なことではありません。」と出てくる。何だろうこのよく分からない否定の否定の否定の肯定文は。高村先生翻訳ありがとう。
 とにかく、どうやら真理が信念と事実の間の何かから成り立っているという説にはけっこう反対する哲学者が多かったらしい。そして何故かはわからないが、この説を肯定すると、人間がどんなに考えても真理を手にすることは不可能なのではないかという感覚が伴うらしい。
 これは本書(参考1)9章の冒頭にあるプラトンイデア論に関係するのではないかと私は思った。本書(参考1)のP113~115に正義のイデアについての解説があるが、正しい行為には正しい行為というイデアがあり、それは信念と事実の間ではなく何か理想の世界に存在するものであるとプラトンは考えた。これは古代ギリシャの神の概念や、その後のキリスト教の神の概念に沿ったものだろう。その世界観の中では、真理が人間の信念と現実世界の事象の間にある何かに対応する、という話は否定されねばならない。「真理そのもの(The Truth)」という完全な体系の一部になるには、理想の世界のイデアが必要なのだ。

 

 また、ここでは「斉合性(coherence)」という見慣れない言葉が登場する。本書(参考1)の脚注P214の(37)に、高村先生がcoherenceを整合性(consistency)と区別するために斉合性と翻訳したという説明が記載されている。なるほど、だが分からん!

 

参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm