作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

哲学入門(バートランド・ラッセル著)12章 メモ(9)

ラッセルの哲学入門(参考1)12章「真と偽」の、抜粋と読書メモの続きです。


P151、10行~16行
 以上二つの理由から、斉合性は既に知られた真理のテストとしては使えるが、真理の意味を与えるものではないということが分かった。
 こうして私たちは「真理の本性は事実との対応からなる」という命題に戻る。残る問題は、事実とは何を意味するのかということと、信念が真であるために信念と事実の間にあらねばならない対応(関係)はどんな本性を持つか、の二つを明らかにすることだ。
 
<読書メモ>
 本書(参考1)第7章のP90~91を読み直すと、矛盾律は思考法則(Laws of thought)あるいは論理的原理(logical principals)であるが、論理法則(Laws of logic)ではないらしい。そこに厳密な使い分けがある様だ。

 

 ともかく斉合性は矛盾律などの思考法則を枠組みとしているので、矛盾律を基礎として真理と信念が斉合しているかどうかをテストすることは可能である。そしてテストに合格すれば私たちが正しく思考していることが明らかになる。斉合性とはそういうものらしい。
 しかし、そこが斉合性の限界だ。私たちが正しく思考していることは、必ずしも真理を保証しない。だから「真理の本性は事実との対応からなる」という命題に戻るのだ。


 これはとても大事なことを言っている様な気がする。

 

 僕らと彼等の常識が違う時に、どの枠組みで考え、共通の真理をどう探すか。家族、近所、友人、恋人、仕事仲間、組織と組織、個人と組織、国と国、あるいはそれら複数の絡み合いにおける判断はどうあるべきか。狭い枠組み内の思考の正しさだけでは解決しない問題をどう捉えるか。
 まさに信念と事実との対応の中に真理の本性があるのだろう。

 

参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm