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哲学入門(バートランド・ラッセル著)12章 メモ(7)

 ラッセルの哲学入門(参考1)12章「真と偽」の、抜粋と読書メモの続きです。

 

P150、1行~14行
 しかし「真理は斉合性(coherence)にある」という定義には二つの難点(反論)がある。
 一つ目は「斉合的な信念群は一つしか存在しないという理由はない」という反論だ。
例えば作家なら矛盾なく私たちが知る過去とは別の過去を描くことができるだろう。
例えば科学で言えばある問題に関する事実のすべてを説明する仮説がしばしば二つ以上になる。科学者は一つの仮説だけを残すため、その仮説にしか当てはまらない事実を探そうと努力する。しかし、常にその事実が見つかるという理由はない。
 例えば哲学であれば、競合する二つの仮説がすべての事実を説明できることはよくある。人生は全部夢だという仮説は実際に他者や物があるという仮説と矛盾しない。
 以上の例から分かるように、斉合性は真理の定義としては失格だ。

 

<読書メモ>
 待て待て、これは何の話だっけ?

 確か、多くの哲学者は「真理は信念と信念の外にある事実との間の何かによって決まる」という考え方を否定するため、「真理は斉合性にある」という拠り所を持ち出して過去の哲学者達は説明を行ってきた。この段落はその「真理は斉合性にある」に対する反論だ。ええっと、何のために反論しているかというと、真とな何か、偽とは何かを明らかにするためだったような気がする。

 

 人生は夢か現実か。この二つの仮説は真っ向から対立する。しかし、それぞれは真だと説明することが可能である。だから夢説と現実説が斉合しなくても真理は成り立つ。まあ、ここまでは理解したとしよう。
 次に、「信念の外にある事実」とは何だ?夢説であれば夢を見ながら眠っている自分という事実、現実説であれば現実だという事実群ということに違いない。
 このように一つの問題を説明する真理は幾つかあってもよく、それらが対立していても両方が真であるとこいうこともあり得る。なぜなら真理は判断されるものだから。

 ともかく、真っ向から対立して斉合しない仮説があっても思考の範囲内ではそれぞれが真ということもある。だから真理には眠っている自分とか、現実に物があるということなどの「信念の完全に外にある事実」が関係しないと決まらない。

 

 こんな浅い理解でいいのでしょうか?すごく不安なんだけど。ラッセル先生!

 

 おまけのメモ。
 前々回の当ブログ12章(5)でpropertyとqualityの違いについて悩んだが、それっぽい例えを思いついたのでメモしておく。
 「例えば、頑丈な箱という真理があるとする。頑丈なという性質(property)は信念や言明の性質(property)だが、箱の材料が木材か金属かという内なる性質(quality)には頑丈だという判断に関する真偽は含まれない。」

 


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm