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哲学入門(バートランド・ラッセル著)14章 メモ(6)

 ラッセルの哲学入門(参考1)14章「哲学的知識の限界」の、抜粋と読書メモです。


P179、14行~P180、16行
 更に数学者は、論理が示す限り、それ以外の多くの空間形式が可能であることを明らかにした。


 ユークリッド幾何学の公理のいくつかは必然だと私たちや哲学者は考えてきたが、それは私たちが現実に馴染んでいるだけでアプリオリな論理的根拠があるからではないことが判明している。


 数学者はそれらの公理が偽であることを考え、そこから私たちの生きている世界とは異なる空間が可能なことを明らかにした。ユークリッド空間に似ている空間は、観察だけでは厳密なユークリッド空間と区別できないものもある。


 かくして状況は逆転する。

 

 かつては経験によってただ一つの空間が残され、それが不可能であることを論理が明らかにした。しかし、いまや経験とは独立に幾つもの空間が提示され、その中から経験が現実の空間を選ぶのだが、候補を絞り込むことしかできない。


 このように、「何が存在するか」という知識は予想より減ったが、「何が存在可能か」という知識は大幅に増えた。かつては経験という壁に囲まれた不自由な世界だったが、今は様々な可能性からなる自由な世界に私たちはいる。

 


<読書メモ>
 私にはここに記述された数学の知識が無いので、ラッセルの論旨を文章から追ってみた。


(1)    ユークリッド幾何学の公理は経験を通じて正しく見えるだけで、アプリオリな論理的根拠は無い。
(2)    かつては経験に縛られて一つのユークリッド空間の形式しか存在しなかった。
(3)    (ユークリッド幾何学の公理に論理的根拠がないので)経験と似ているユークリッド幾何学の空間形式は論理的に存在しないとされた。
(4)    しかし、経験を元にしないいくつもの空間形式が可能であることが明らかになった。
(5)    よって(経験を元にしない形式であれば)、空間は存在する。

 

 ついにラッセル先生の説は経験を離れてしまった。本書の最初の方でバークリー僧正の観念論を経験から離れたものとして批判していたのではなかったか?混乱してきたので、ここで本書(参考1)第一章を読み直してみた。


 すると、既に第一章でかなり複雑なことが述べられていたことに、今更ながら気付いた。最初からラッセル先生はテーブルの存在一つにしても、そこに経験とそうでないものがあるという「問い立て」が可能だということだけを述べている。そしてその問いから考察されることは驚くべきことであると読者に予告する。確かに私は驚かされ続けていることに間違いはない。


 空間の議論については結局良く分からなかったのだが、私はおそらく遊び尽くせないほど広い遊園地にいて、ここではいつまでも迷子を楽しめるのだろう。

 

 

参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm