怖い話が大好きなのです (主役は弱者)
キリスト教は弱き者こそ善であると説いた。ニーチェはそれを道徳上の奴隷一揆(参考1)だと表現したが、弱者から強者への転換は、なにもキリスト教の専売特許ではない。怪談もその多くが弱者から強者への転換により語られる。境界、辺境に住むマイノリティは時には妖怪や幽霊となり、時には神格化され、人ならぬ者として語り継がれる。
松岡正剛氏はその著書フラジャイル(参考2)で弱さの本質は儚さと欠損であり、うつろうもの、移るもの、映した(写した)もの、虚ろなものだと説明している。更に、これらの言葉に含まれる「うつ」は反転して、すべての中心は空ろ(うつろ)であり、現(うつつ)は何もないその空ろから発生していると言う。ウロボロスの蛇のように連続的に反転し循環しているのだ。
ホラーの王道は弱者の復讐である。弱者が得た復讐の力は、辺境の限られた領域で発揮されるか、何かを介して写される。このストーリーが東西を問わず繰り返し使われるのは、弱者の反転性が共通認識されているからだ。
そうだとすると、それは人の思考の本質的な傾向の一つなのだろうか。