不合理な取引
人は不合理であると分かっていながら取引を持ち出すことがある。
一昔前であれば、生徒の喫煙を罰するなら教師も禁煙しろという類の話である。今だったら、学校への携帯電話の持ち込みを禁止するなら教師も携帯電話を持ってくるな、という形に変わっているかもしれない。実際にそんな事を言う人がいるかどうかは知らないが。
このパターンは結構ある。速度違反でつかまった人が、「警察はこんなちょっとした違反を取り締まるより、悪い政治家を捕まえろよ」と怒るとか。
この言い回しには権力による抑圧から生まれたルサンチマンが隠れている。
ルサンチマンは常に利用できる正義を探している。禁煙しろ、携帯を職場で触るな、悪い政治家をつかまえろ、といった正論が彼等の正義だ。これがルサンチマンの隠れ蓑となる。話が巧妙になるとルサンチマン自体がまったく見えなくなってしまい、多くの人を巻き込む扇動に変わっていく。
昨今流れているニュースにもサンチマンが隠れてはいないだろうか。私たちのルサンチマンを刺激しつつ扇動が行われてはいないだろうか。ヒントは正論と取引される何かである。