作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

千と千尋の神隠しのカオナシと欲望

ジブリ映画「千と千尋の神隠し」に出てくるカオナシは欲望のよい例えとなる。

 

 カオナシは白いお面と黒い布をまとった姿で登場する。主人公の女の子の千(せん)は、ぼんやり外に立っていたカオナシ湯屋の中に呼び入れる。ところがカオナシは偽物の黄金の粒を出すことができたのだ。カオナシ湯屋で働く人達にその黄金をばらまき、湯屋は凄いお金持ちが来たと大騒ぎになる。カオナシはご馳走を食い散らかし、どんどん巨大化し狂暴になっていく。

 そこに千が現れる。カオナシは千にも金を差し出すが、千はいらないと拒否する。

 するとカオナシは怒り狂って千を追いかける。しかし、追いかけながら今まで食べたものを吐き出して縮み、最後は再びぼんやりした姿に戻っていく。

 

 もともとカオナシ自身に欲望は無い。欲望を持っているのは湯屋の人達だ。カオナシはその能力で湯屋の人達の欲望を取り込んだだけだ。その巨大で狂暴な姿は他人の欲望から成り立っているに過ぎない。

 

 生理的欲求を除けば、欲望は必ず他人との共通認識が必要となる。他人が欲望を覚えなければ自分の欲望は欲望であり続けることはできない。例えばゴッホの絵を50億円で買ったとする。さすが50億円の絵からは特別なオーラを感じるものだと持ち主は感嘆する。しかし翌日その絵が100万円の贋作だということが判明する。すると、持ち主はもうその絵から50億円のオーラを感じ取ることは難しいだろう。

 

 カオナシの話に戻るが、千が金を「いらない」と拒否することは、カオナシの取り込んだ欲望が千と共有できないことを意味している。映画では千は更に「私の欲しいものはあなたには絶対に出せない」と言い、残酷にもカオナシとの共有の可能性をすべて断つのだ。哀れなカオナシ

 

 カオナシは私かもしれない。私は私に問う。私の欲望は本当に私のものですか?