作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

絶望の三段階、キェルケゴール

 絶望おじさんことキェルケゴールは、絶望には三段階あると言う。

一、絶望に気付かない絶望

二、絶望に気付いて自己自身であろうとしない絶望

三、絶望に気付いて自己自身であろうとする絶望

 

 何だこれ。でも結構使える概念だ。三は自己自身になろうとするからOKなんじゃないの?って思うかもしれないがそうではない。

 

 三は「自己のうちなる永遠者を絶望的に濫用する(参考1、P136 )強情」、つまり謎のオレ理論が発動する段階だという。彼は救済を求めないし、全世界から不当な扱いを受けている人間のままでいたい(参考1、P146 )と願う。とんでもなく迷惑な人になってしまうのだ。

 

例えば、

一、ギャンブルにはまっているけど、それに気付かない

二、勝てないと分かっているのに、勝てば返せると思ってギャンブルをやめない

三、勝てないと分かった上で、自分はすべてを破壊するためにあえてギャンブルをやるのだとか訳の分からないことを言い始める

 

一、自分のわがままに気付かない

二、ひょっとして自分のわがままかもと気付いたけれど、これは自分がわがままとかじゃなくて相手が酷い人なんだと思い込もうとする

三、私はわがままだと開き直り、相手を思い通りに動かすためにたとえ嘘を使っても相手を支配しようとする

 

一、魂の永遠に憧れていることに気付かない

二、魂の永遠に憧れていることに気付いたが、心霊動画を騙されないぞと突っ込みを入れながら見る

三、魂の永遠を証明するため、心霊スポットを探しては不法侵入を繰り返す

 

以上、あんまり上手い例えじゃなかったけれどご勘弁を。面白いのは二と三だ。

 

 二は急に奇抜な恰好をしたり、整形を繰り返したり、罪と罰マルメラードフみたいにやっと役人になることができたのに1か月分の給料を全部飲み代に使って仕事を辞めてしまったり(参考2)。とにかく自分でいることが耐えられない状態を言う。

 

 三はレベルが高い。何だか一理あると思わせてしまうパワーさえ伴う。罪と罰のラスコールニコフのように世の中の為なら金貸しの老婆を殺めても許されるとする(参考2)のも三の段階だ。やたら説得力があるけど何か変だと思わせる人がいたら、その人はうちなる永遠者を絶望的に濫用しているのかもしれない。

 

絶望おじさんはひたすら人間観察の人だ。教えて!絶望おじさん!

 

(参考1 死に至る病キェルケゴール著、斎藤信治訳、岩波文庫、第108刷

 参考2 罪と罰(上)、ドストエフスキー著、工藤精一郎訳、新潮文庫、第61刷)