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哲学入門(バートランド・ラッセル著)15章 メモ(9)完了

 ラッセルの哲学入門(参考1)15章「哲学の価値」の、抜粋と読書メモです。今回で全章が完了します。

 

P194、14行~P195、15行
 哲学的観想の自由と公平さを身に着けた心は、それと同じ自由と公平さを行為と感情の世界でもある程度持ち続け、自分の目的と欲望を全体の一部であり断片として見る。その心は自分の目的や欲望が世界にとって小さな断片であり、その断片を除いても世界は変わらないことを理解する。


 それゆえ、自分の意見に固執することもない。公平さは真理への欲求となるが、行為においては正義、感情においては普遍的な愛と同じ心的性質である。観想は私たちの思考の対象だけでなく、行為や愛情の対象をも広げるのだ。


 私たちは城に立てこもる兵士ではなく、真の自由を持つ宇宙の住人となる。(哲学的観想は)狭隘な希望や恐れへの隷属状態から(私たちを)解放する。


 哲学の価値に関する議論を次のようにまとめてよいだろう。哲学は、問いに対して明確な回答を得るために学ぶのではない。なぜなら、明確な回答は正しいということを知りえないものだからである。むしろ問いそのものを目的とすることで、知的想像力を豊かにし、多面的な考察から心を閉ざしてしまう独断的な確信を減らす。


 そして何より、哲学が観想する宇宙の偉大さを通じて、心もまた偉大になり、心にとって最もよいものである宇宙と一つになれるからである。

 

 

<読書メモ>
 行為と感情の世界の自由と公平さを身に着けると自分の目的と欲望を全体の一部として見ることができるという。しかし、そこに至るには険しい道を通らねばならない。

 

 「全体」や「宇宙」という言葉は範囲が広すぎるので、例として「他者の主観」を考えてみる。他者の主観を尊重し、行動を共にするならば、部分的に自分の中のものを犠牲にしなくてはならない。自分には自分にしか分からない経験があり、人間関係があり、プライドがあり、好き嫌いがある。自分の主観と自分の行為と感情は切っても切り離せないが、それを自由と公平の視点から修正するということは、多くの場合痛みを伴うはずだ。

 

 総論賛成各論反対という言葉がある。自分の主観世界に影響を及ぼさない総論は概ね賛成されるが、各論において主観世界に合わないものには拒絶の反応(反対)が起きる。総論は一般的に正しい概念であることが多いため、総論賛成は反対し辛いという態度の裏返しである。各論に到達することで初めて自分の何かが制限され、あるいは新たな行動を起こさねばならない事態が明確になり、反対の声が上がる。このとき総論は受動であり、各論は能動である。そして能動は反対するにせよ受け入れるにせよ、どこかで痛みとぶつかる。

 

 私が哲学から学びたいことは、思い通りにならない世界と自分との折り合いをつける時、生じた痛みが自分以外と整合していることを判断する力と、生じた痛みにどう対峙するかという考え方のヒントである。

 

 感情に飲み込まれた状態や、公平さを担保できなくなった状態は自分では気付くことが難しい。悪いことに歳を取れば取るほど経験が増えるため、自分に対する言い訳が上手くなり、自分の嘘に自分が騙されやすくなっていく。哲学はこれをどう見抜き、どう対峙するかについてヒントを与えてくれる。
 
 目の前にある机はどう机なのかを考えることは、何の役に立つのかすぐには分からない。しかしそれを基礎として構築される哲学は、私が倒れないように後ろから支えてくれるものだ。焦ってはいけない。

 


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm