作文練習

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哲学入門(バートランド・ラッセル著)13章 メモ(4)

 ラッセルの哲学入門(参考1)13章「知識、誤謬、蓋然的な見解」の、抜粋と読書メモの続きです。

 

P164、16行~P165、6行
 (ここまでは派生的知識について考察したの)だが、実は直観的知識の方が難問だ。派生的知識は直観的知識を頼りとして考察すればよいが、直観的信念を扱うには真と偽を区別する基準を見つけねばならないという難問がある。この難問の正確な答えを得るのはほぼ不可能だ。つまり真理の知識はどれもある程度の疑いに染まっており、この疑いを無視する理論は間違っている。

 とはいえ、難しさを軽減する手段はある。

 

<読書メモ>
 本章の目的である「真偽をどう知るか」という問いに対し、ここでひとまず答えが述べられている。「きっちりと知ることは出来ません。だからきっちりと知る方法もありません。」という解答だ。

 

 ここで一回がっかりしよう。しかし、面白いのはここからだ。私はこれ以後のラッセル先生の説明を、科学の側面の説明として読み解いていきたい。

 

 「現代の科学でも説明できないことがある」というのはオカルト好きな人の切り札的常套句だが、科学の方法論を知っている人や科学に携わる人にとってはどんな学説一つをとっても不確定であることは常識というか前提であり、今の科学で説明できないことを別の説によって説明するため日々頑張っているだけなのだ。だから鬼の首をとったみたいに「現代の科学でも説明できないことがある」と言われても、心の中でそっとため息をついて目を伏せるだけだった。しかしこれからラッセル先生の言葉を尽くした説明が始まる。だからどうか元気を出して頂きたい!

 

 これまで私は、信仰こそが信念で、科学は論理だと思っていた。でも最近は違うような気がしている。信仰は信念でも論理でもなく何かの拠り所みたいに人の奥深くに刺さったものであり、科学は論理で組み立てられているがその実体は信念だと思うようになってきた。

 


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm