作文練習

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哲学入門(バートランド・ラッセル著)9章 メモ(3)

 ラッセルの哲学入門(参考1)9章の抜粋と読書メモです。英文(参考2)も参考にしています。遅々として進みませんね。 

 

P116、7行~11行
 少なくとも一つは普遍を表示する語を含まねば文は作れない。例えば「私はこれが好きだ」という文では「好きだ」が普遍を表わす語となる。
 私は他のものが好きかもしれないし、ある人はいろいろなものが好きかもしれないからだ。
 このように、すべての真理は普遍を含み、真理のすべての知識は普遍との面識を含む。
<読書メモ>
 参考までに英文では、真理=truth、普遍=universal、面識=acquaintanceとなっている。(参考2)
 真理と言われると何か崇高で隠された奥義みたいな感じがするが、ラッセルはそうではないと言っているようだ。「好きだ」という動詞にも普遍がありそれは真理に含まれる。そして「好きだ」という普遍を通じて知ったこと(面識)が真理の知識に含まれる。個物を示す単語以外は普遍であり、真理は文章のあちこちに存在する普遍が構成している。

P116、12行~
 ほぼすべての語が普遍の代わりをするが、哲学を学んだ人以外の人はそれを普遍と認めない。(なぜなら)私たちは個物以外の言葉を長々と考えない(からだ)。諸個物以外の言葉は個物の代わりになる語として考える程度でしかない。
 「チャールズ一世の首が切り落とされた」では「首」や「切る」が普遍であるが、「チャールズ一世」と比べれば空疎な感じがして、それ単体では何もできない語のように感じる。それゆえ普遍は気付かれにくい。
<読書メモ>
 私なりの例えを考えてみた。
 先日TVで見たボクシングの井上尚弥のパンチ力は凄まじく、ボディを食らって崩れ落ちる対戦者には同情すら覚えてしまった。
 私たちが目を奪われるのは井上尚弥の拳とその破壊力である。彼のパンチが真理であり、真理とは何かを考えた時、そこに含まれるのは腕の振りだけではない。ガードを固めつつも柔軟な背中、激しく頭が動いても上下しない重心、左右に傾かない目線、両足同時の踏み込み、足の距離がほぼ変わらないステップ。これらすべてが普遍であり、彼のパンチ(真理)に含まれる。
 更には格闘技だけではなくテニス、野球、サッカー、ラグビーなど複雑な足さばきが必要なスポーツも分解すれば共通項が存在するはずで、それも普遍だ。普遍の一つ一つは地味で当たり前のことかもしれない。しかしそれらが十分な面識を伴って集合すると、井上尚弥の神秘的なパンチになるのだ。
 文章がある真理を伝える時、そこには数々の普遍が含まれており、その普遍は気付かれ難いが正しく面識されねばならないとラッセルは言いたいのかもしれない。


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm