作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

怒りと悟性と私の本性

 みんなマナーを守るべきだと思う時、「べき」とは私の頭の中にある正しさだ。多数の意見から組み立てた私の思考だ。アンガーマネジメントでも言われていることだが、私が怒りを感じるのは、そんなふうに私が他人に求めた「べき」が遮られた瞬間である。

 

 恐ろしいのは、相手に直接怒りをぶつけても良いと判断してしまった場合だ。怒りが制御を失って言動に変わる時、そこに私のおぞましい本性が顔を出す。

 

 もう一つ恐ろしいことがある。私は相手を見て怒りの発現の可否を判断していることだ。怒りの発火と同時に怜悧な計算が一瞬にして行われる。これもまた私の見たくない私の本性である。

 

 怒りは原始的な感情だと思っていたが、その発生と発現のメカニズムは意外と悟性に依存しているのかもしれない。そして私が見たくない私は、怒りと深く関わっているのかもしれない。

 

 うーん。上手くまとまらない。