作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

価値は外部が決める

机の価値は使用価値と交換価値だとマルクスは言う。どちらも他人が決めるもので、机の価値は後から付与される。

 

じゃあ机じゃなくて人間ならどうだろう。

 

3月23日のブログで「献身の人」を書いたが、たとえ面倒くさい人であっても周囲がその人の助けを求めるならば、それはその人の価値だと言える。しかし、その価値は彼自身に元から備わっている不変なものではなく、彼の存在や行動をもとに他人が決めるものだ。

 

自分の価値だけが自分のすべてだと思うと生きているのが苦しいだろう。自分の価値とは容姿、肉体、頭脳、お金、才能、優しい心、強い心、愛する人から愛されること、行きつくところは存在自体であったりもする。人生をかけて頑張って手に入れたいと願う価値ではあるが、それが手に入ったかどうかを決めるのは他人だ。

 

一方で、そんな価値ならいらないとか自分には何も価値がないと思うことも苦しい。人間関係を含む社会的な活動を限定しなくてはならないからだ。極端な価値の否定は生き続けることの困難さを招く場合もあるだろう。

 

自分の価値は自分では決められないので他人の評価を期待しすぎてはいけない。だけど自分の価値を高める努力は怠ってはいけないし、その努力は他人の評価とは別の次元でも必要だという気がする。