哲学入門(バートランド・ラッセル著)15章 メモ(1)
ラッセルの哲学入門(参考1)15章「哲学の価値」の、抜粋と読書メモです。いよいよ最終章です。
P186、1行~P187、13行
これまでひととおり哲学的問題を見てきたが、本章では哲学の価値を考える。
多くの人が哲学を「些細な違いにこだわり、知り得ないことを議論するだけだ」と考えているならば、哲学の価値を問う必要性は高まる。哲学に対するこうした誤解は、哲学の善の追求の方法が誤解されていることから生じている。
自然科学が発明したものは科学を知らない人にも役に立つ。だから科学が奨励されるのは人類全体の影響のためだ。しかし哲学にはこのような利得はしない。もし哲学が役に立つとすれば、それは哲学を学んだ人の人生が学んでいない人の人生に与える間接的な影響だけである。
また、しばしば現実的な人だと間違って呼ばれるような物質的な必要性しか認めない人に対して、哲学はその偏見からその人を自由にしなければならない。
仮に貧困や病気が無くなったとしても、よい社会にするために為すべきことは沢山ある。つまり身体に善いことと心に善いことは同程度に重要であり、哲学の価値は心に善いことの中に見出される。そしてその価値を認める人は、心に善いことに関心のある人のみだ。
<読書メモ>
私の思う哲学者のイメージは、家具屋で机を目の前にしてこの机が本当にあるかどうかを考え込んで結局買わない人だ。
しかしラッセルはそれを誤解だという。机の議論は部分的には重要だがすべてではない。そういった議論を積み重ねることで最後は心の善に向かっていく。だからこそ哲学には価値があるという。
私は殆ど物質的な必要性のために生活の時間を使っている。心の善は物質的な必要性の次に生まれてくれればよいと思うが、必ずしも心の善を強く意識して行動することはない。
私が心の善を意識する時は、善とは言えない他人の行為を見て「あんなことをしたり言ったりしちゃ駄目だろう」という批判が生まれた時だ。
しかし、これではあまりにも寂しい気がする。だからといって具体的にどう行動することが心に善いことかは分からない。私は、誰かが言った「この世に100%善いことは無い」という言葉に、芯から毒されているのかもしれない。
参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷