作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

ネットでさえ共感を分かち合えない時に何を疑うか

 私はどこかの誰かと共感を分かち合いたいという目的でネット検索をすることがある。しかしそれがまったくヒットしない時、探し方が悪いのか、はたまた私の感性がずれているのか、どちらかを疑ってしまう。具体的な例を示そう。

 

 一つ目。数学者、岡潔(おかきよし)の顔である。こんな顔をした日本人がいたのかと感動を覚える顔だ。彼の数学はよく分からないが、文章は素晴らしく私も一冊持っている。しかし私が感動を覚えるのは彼の文章よりも顔なのだ。ネット画像検索で見つかる写真はあまりに少なく非常に残念だ。写真家は何をやっていたのだと憤りすら感じる。岡潔写真集があったらごめんなさいと言って即買いするのだ。
 しかし、彼の顔を賛美するネットの書き込みを私はまだ見たことがない。

 

 二つ目。10年前のアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の感想である。主人公は引きこもりの16歳くらいの男の子。ある日彼の前に小さい頃亡くなった幼馴染の女の子の幽霊が現れて会話するようになる。しかし、その頃一緒に遊んでいた幼馴染達にはその幽霊は見えない。皆最初は主人公がおかしくなったのかと思うが、次第にその存在を信じるようになる。幼馴染達は皆その亡くなった女の子が大好きだったのだが、それぞれの心に落ちた影が話の展開と共に明らかになるというストーリーだ。
 かなりヒットしたアニメなのでファンの方には申し訳ないが、私の感想は身も蓋もないものだ。

 これは駄目な奴が努力なしで一発逆転を手に入れる話だと私は思った。主人公以外の幼馴染は多少わけありかもしれないが、一生懸命頑張っている奴ばかりだ。しかし主人公は幽霊と話ができるというただその一点だけで幼い頃の求心力を取り戻す。幽霊が見えるということ、そしてそれを周囲が信じるということは、若者にとってある意味究極のステータスなのだ。主人公が救われる話なのでファンも多いのだが、主人公はもうちょっと努力しろよと突っ込みたい。
 当時いろいろネット検索してみたが、やはりこの類の感想は見当たらなかった。

 

 「感想には個人差があります」と言ってしまえばそれまでだが、他人と違うことは必ずしも良いこととは限らない。私の感想は私自身が批判しなければ誰も批判しない。無批判の自己肯定には嘘が混じっているはずだ。上の二つの感想にだって私自身が気付かない嘘が混じっているかもしれない。何かを書くことは自分の嘘を見つける作業でもある。