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哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(6)

難しさが加速しています。哲学入門(参考1)の8章、P104の12行目からです。

 

<要約1>
 知識は一般的であるのに対し、経験は個別的であることから問題が生じる。まったく経験していないことでも私たちは真理を知っている場合があるが、これは不思議なことだ。不思議だが数学や論理学がこれを可能にしている。百年後のロンドンに住む人から任意に二人のペアを二組選んだとして、合計が四人であることを予め知っていることは驚くべきことだ。
 カントはこれに解を与えたが、(ラッセル曰く)この解は誤りである。ただし難しい問題なので、カント支持者には理解されにくいのだ。(参考1  P104、12~P105、5行)
<読書メモ1>
 以後、この先のカント哲学批判の準備として前提の確認が為される。

 

<要約2>
 カントは、すべての経験は対象(物的対象)によるものと私たちの本性によるものの二つの要素があり、それらは区別されねばならないとした。
 (一方で、)私たちはこれまで「物的対象とセンスデータは互いに関連しはするが異なるものでありセンスデータは物的対象と私たちとの相互作用の結果とみなされるべきである」と理解した。ここまではカントと私たちの意見は一致している。(P105、8~13行)
<読書メモ2>
 まず、物的対象とセンスデータは異なるという点で、ラッセルはカントと同じ意見だとしている。

 

<要約3>
 ラッセルがまとめたカントの意見:
 (A)感覚に与えられる生の素材(色や硬さ)は対象によるものである。
 (B)私たちは、時間と空間で素材(色や硬さ)を並べ、関係をもたらす(考える)
 (C)私たちは空間と時間(と因果性と比較)に関してアプリオリな知識を持つ
 (D)私たちは生の素材(色や硬さ)についてはアプリオリな知識を持たない。
 (E)経験されるものはすべてアプリオリな知識に一致する特性を持つ
 (F)(E)の理由は、その特性が私たちの本性に由来するからである
  (参考1 P105、13行~P106、7行)
<読書メモ3>
 これらはカント純粋理性批判、先験的感性論の緒言にその概要が書いてある。(参考3 P86~89)
 カントは(A)を感性の働き、(B)を悟性の働きとしている。そしてラッセルが言うところの生の素材(色や硬さ)を、カントは対象が与えられた時に生じる直観だとしている。
 (C)は、アプリオリに認識できる直観とは何かを突き詰めると時間と空間だけだとカントが述べたことに対応する。このアプリオリな直観の認識をカントは純粋直観と呼び、対象から与えられる色や硬さなどの経験的直観と区別している。それを踏まえて(D)が述べられている。
 カントは時間と空間をアプリオリな直観の原理とし、感覚を介して与えられる経験を分離しながら説明を行っている。従って論理的に(E)も成立する。
 (F)についてカントがどう言っているのか、私にはよく分からなかった。そもそもカント哲学全体が人間の認識の限界を考えるものらしいので、殊更にそれが人間の本性だと念押ししている箇所は無いか、あるいは全文を通じてそう言っているということなのかなと私は思った。

 


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm
参考3 純粋理性批判(上) カント著、篠田英雄訳、岩波文庫、第72刷