作文練習

何か書くと楽しい、かもしれない。

献身の人

キェルケゴールによると献身は女性の特性らしい※。私の二十年来の知人にも献身の人がいる。しかしその人は男性だ。

 

彼は強面である。正論を言い非常に気が利いて役立つことなら依頼主が気付かぬことまでやってあげる。

 

それはとても素晴らしいが難点がある。相手にも自分と同じ気遣いを要求してしまうのだ。理詰めで指摘される方は面白くない。しかも彼は常に敢えて嫌われ者になる心意気なので、要求は止まらない。

 

悲しいことに、彼に頼み事をする人は年々減っていく。目上の人が多い時は可愛がられることも多かったが、目下の人が増えてくると敬遠されてしまう。面倒くさい人だと思われるのだ。

 

「昔は気遣いの出来る人が多かったし本音をぶつけ合うことも出来た。でも今の人は駄目だ。時代の流れなのか。」と彼は嘆く。しかし単に彼の年齢が高くなったことだけが原因なのだ。

 

さて、ここで本日のお題「献身の人」である。

 

献身的なパートナーのおられる方ならお分かりだと思うが、献身の人に対してはその献身ぶりを見てあげなくてはならない。見ていないことが原因となる心無い言動に献身の人は極めて敏感だ。細やかな気遣いには感謝と共感で応えなければならない。

 

前述の彼も本質は献身の人である。相手への要求の高さの陰には、自分を見て欲しいという欲求が隠されている。本質だけに変わるのは難しい。彼が変われるとすれば自分で気付いた時だけだ。

 

一方で、もし周囲がその人の助けを欲しているなら周囲こそ変わる必要がある。献身を理解し見てあげて感謝し共感すると、嘘みたいに面倒くささは無毒化される。その結果全員がハッピーになるのだ。

 

何故面倒くさいおじさんの為に私が変わらなきゃならないの?と怒りを買いそうな話だが、自分のことは自分では分からないということは案外分からないものなのだ。ああ、ややこしい。

 

※ 死に至る病 キェルケゴール著、斎藤信治訳、岩波文庫、第108刷、P97~99より