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哲学入門(バートランド・ラッセル著)15章 メモ(5)

ラッセルの哲学入門(参考1)15章「哲学の価値」の、抜粋と読書メモです。


P191、5行~P192、1行
 哲学の重要な価値は他にもある。それは、哲学的観想の対象が持つ偉大さと、哲学的観想によって個人的な狭い目的から自由になることである。


 本能的な人は利害の及ぶ範囲内で生活をしている。家族や友人には配慮するが、それ以外の人は自分とその家族や友人に利害を与えない限り気にも留めない。その生活は哲学的な人の落ち着きや自由と比べ、熱狂的で狭苦しい。


 本能的利害関心という小さな世界は大きく荒々しい世界に囲まれており、いずれ荒廃させられる。自分の関心を外の世界に広げない人間は、まるで要塞に立て籠って最後は降伏する兵士の様である。我々の生活が偉大で自由であるべきなら、そこから抜け出さねばならない。

 

<読書メモ>

 

 家族や友人などの利害の及ぶ範囲内の生活に関心を持つのは当然のことだろう。問題があるとすれば、家族と友人の利害“以外”に関心を持たないことだとラッセルは言う。

 

 では何故、そういったことに関心を持たないことがなぜ荒廃を招くのか。考えてみた。

 

 外の敵と戦うのは当然なのだが、もし家族や友人の中で軋轢が生じてしまったらどうなるか。そうなると仲間の中に更に味方と敵を作り、その調整と争いに明け暮れてしまうかもしれない。時には外部に仮想敵を作って不安をあおり、内部の結束を取り戻そうとするかもしれない。いずれにせよ軋轢が長期にわたると内部は疲弊し荒廃するに違いない。

 

 外部からの視点で考えることができれば軋轢の妥協点を見出せるかもしれない。しかし、内部の視点では手詰まりになってしまうこともあるだろう。

 

 仲間や組織の構成と活動は時間によって変化していく。しかし変化していることを受け入れず、昔の良かった状態に戻すことばかりを夢見ていると必ず無理が生じる。内部から崩壊する組織が多いのは世の習いである。変化を受け入れるということは、外部に関心を持つことから始まるのではないだろうか。

 

 以上が私の考える荒廃の理由だ。


<参考>
(哲学的)観想: contemplation 熟考すること、思いを凝らすこと、何かをじっくりと見つめる行動。

 

 

参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm