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哲学入門(バートランド・ラッセル著)12章 メモ(17)

 ラッセルの哲学入門(参考1)12章「真と偽」の、抜粋と読書メモの続きです。

 

P157、2行~P158、3行
 信念が「信じる」という関係でつながれた複合体の対象の一つは関係(例えば「愛している」)でなければならない。「オセロは、デズデモナがキャシオを愛していると信じている」という信念においては、全体をつなぐのは「愛している」ではない。対象をブロック、全体をつなぐ関係をセメントと例えるならば、この場合の「愛している」はブロックである。
 信念が真である場合、信念とは別の統一体もある。別の統一体とは、例えば「デズデモナがキャシオを愛している」という対象は同じ順序だが「愛している」がその統一体をつなぐ関係としてセメントの役割を果たしている。
 信念が偽である場合、「デズデモナがキャシオを愛している」という統一体は存在しない。

 

<読書メモ>
 信念の対象であるものが真であるとき、それは信念とは別の統一体という存在になる。信念が真であるためには、常に信念の外部にある「真」が必要とされる。
 合っているかどうかあまり自信が無いが、名探偵コナンを挙げてたとえてみる。
 
 aが殺され、コナンは容疑者xが犯人だと推理したとする。

 

コナンが自身の推理を真とする信念は式βにするとこうである。
<推理する(コナン、殺した、x、a)> ・・・ β

 

この推理が正しいとするためには式αが成立しなければならない。
<推理する(コナン<殺した(x、a)>)> ・・・ α

 

式βの様にxがaを殺したということ、すなわち<殺した(x、a)>が項として扱えなければ、この推理は真とはならない。項として扱うには、これが真である必要があり、「殺した」がxとaをつなぎ合わせるセメントの役割を果たすようなコナンの信念とは別の統一体である必要がある。そのためには直接的あるいは間接的な証拠を発見して蓋然性を限りなく高めなくてはならない。この証拠は目撃者でありアリバイであり凶器であり動機であるのだが、常にコナンの信念の外部から探してこなければならないのだ。

 

 真実はいつもひとつ! なのか?

 

参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm