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哲学入門(バートランド・ラッセル著)12章 メモ(13)

 ラッセルの哲学入門(参考1)12章「真と偽」の、抜粋と読書メモの続きです。

 

P154、4行~6行
 この理論は否定されないまでも、可能な限り避けたい。

 

<読書メモ>
 この理論とは、「オセロの前に、オセロの心と独立してデズデモナのありもしない不倫の愛を示すことはできない」の後に続く、「偽の命題を偽と判断する場合においてもその対象があり、それはいかなる心からも独立に存在しなければならない」という理論である。
 要するに、ありもしない対象であっても、文章(命題)にした瞬間に何等かの存在として認めるべきである、ということだ。これは注釈38(参考1、P214)を参照したい。


P214、12章注釈(38)
 この理論の発案の以前は、ラッセルは文の意味としての命題を認めていた。語の意味を面識することは、語から成る命題を面識することだとしていた。
ここで、
①    面識する主体と面識される対象は独立である
②    有意味な文章であるが偽であるという文章も存在する
という二点を考えるなら、「まだ誰も考えたことがなくても偽の文の意味となっている命題は存在する」ことが帰結する。
 表現に依存しない客観的な命題が存在し、真または偽の性質を持つことで、客観的な論理的関係を(真と偽は)互いに持ち合う。そして真という性質を持つ部分が事実とされる。こういった世界観はラッセルの出発点であり、この世界観を放棄した後でも「命題」や「真理」のようなラッセルの語句にその名残りがある。

 

<読書メモ>
 上記抜粋では「論理的コスモロジーとでも呼べるであろう世界観」については私の基礎知識が無いので割愛した。
 とにかく「ありもしない対象」を面識する「偽」という真理を考えることは出来なくはないがやめた方がいい、とラッセルは思っているということだろう。
 それよりも明晰な良い方法があるとラッセルは言っているのだが、それは次回のお楽しみだ。

 


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm