作文練習

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哲学入門(バートランド・ラッセル著)8章 メモ(1)

 哲学入門(参考1)の8章、「アプリオリな知識はいかにして可能か」に関するメモです。ここでラッセルはカントの哲学を大筋で認めつつ、ある点で間違いであることを指摘します。しかし私は何度読んでも理解できません。そこでメモを取りつつ頑張って読んでみたいと思います。まずはP101の1行目から。


<要約1>
 カントは批判哲学を発明した。
 批判哲学とは、まず様々な知識が存在することを認め、次に、それらの知識がいかにして可能になったかを探り、その結果から多くの形而上学的帰結を演繹することである。
 しかしラッセルはこれらの帰結は妥当ではないと思っている。(参考1 P101、1~8行)
<読書メモ1>
 本章ではカントの帰結が妥当ではない理由が述べられます。その前に、まずはどこまでが妥当かという点について次に説明がなされます。
 相変わらずラッセルはアプリオリな知識という言葉を用いています。しかしカントはアプリオリな知識とは言っておらず、アプリオリな認識あるいは(認識の)形式という言葉を使っています。ここにヒントがあるのかもしれません。無いかもしれないけど。

 

<要約2>
 カント哲学の妥当な点は二点。
 第一に、アプリオリだが純粋に「分析的」ではない知識――すなわち、その否定が自己矛盾にならない知識――があること。
 第二に、知識の理論の哲学的重要性を明らかにしたこと。(参考1 P101、8行~P102、1行)
<読書メモ2>
第一は、6章で述べた内容を「分析的」という言葉を使って繰り返しているだけです。(2021/5/10当ブログ記事メモ(5)の要約1、および2021/5/11当ブログ記事メモ(6)の要約1)「分析的」の意味は次で説明されます。
 第二は「知識」も「理論」も「哲学的重要性」も広すぎて何でもありで良く分かりません!英文(参考2)を見てもこれ以上のことは書いてありませんでした。とりあえずラッセルはカントすげーと言っているんだなと理解しました。


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm