作文練習

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死に至る病を読む(9)

 キェルケゴール死に至る病の1章の4頁を英文(参考2)の助けを借りながら読むシリーズです。


 「それ故にまた絶望のこの第二の形態(絶望して自己自身であろうと欲する形態)は単に絶望の一種特別なものにすぎないものなのでは断じてなく、むしろその逆に結局あらゆる絶望がそのなかに解消せしめられそれへと還元せしめられうる所以のものである。」(参考1 P24より引用)


Indeed, so far is it from being true that this second form of despair (despair at willing to be one’s own self) denotes only a particular kind of despair, that on the contrary all despair can in the last analysis be reduced to this.
(拙訳)実際は、この絶望の2番目の形式(自分自身でありたいという絶望)は決して特定の種類の絶望だけを示すのではありません。それどころか、すべての絶望は最終的な分析の中でこの絶望の2番目の形式に還元されます。
(解説)英文が肯定なのに何で岩波訳が否定なのかなと思いましたが、おそらくit is so far from ~ingの形だと思います。it isが倒置されて変なところに入っているので分かり難いですが、岩波訳では「断じて~ない」とあるので、多分そうなのでしょう。
 さて、第二の絶望(=絶望して自分自身でありたいとする絶望)は人間の絶望の本質であり、決して特殊な絶望のあり方ではないとキェルケゴールは言います。ちょっと無理があるかもしれませんが、絶望の段階を太陽のたとえで説明してみたいと思います。
 ゼロ段階の絶望は太陽がまぶしいことを知らない絶望。第一の絶望は太陽がまぶしいことに気付いて目を逸らす絶望、そして第二の絶望は太陽がまぶしいことに気付いてそれでも太陽を見てしまう絶望です。
 人間の本質は第二の絶望の形式に収斂します。ただしそれを実際にやる人、目が見えなくなるまで太陽を見てしまう人は極めて少ないでしょう。そんなことを本当にやる人は普通の社会生活を送ることはできません。それでも人間はそれを考えずにはいられない、求めずにはいられない。人間はそんな存在なのかもしれません。

 

続く。


参考1 死に至る病キェルケゴール著、斎藤信治訳、岩波文庫、第108刷
参考2 https://antilogicalism.com/wpcontent/uploads/2017/07/thesicknessuntodeath.pdf