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哲学入門(バートランド・ラッセル著)12章 メモ(2)

 ラッセルの哲学入門(参考1)12章「真と偽」の、抜粋と読書メモの続きです。

 

P146、7行~P147、12行
 しかし真理の知識には二極性があり、(私たちは)真であることだけではなく偽であることも(それを真だと)信じることができる。
 また、多くの主題について人々は互いに両立しない意見を持っていることもあり、その場合、信念のいくつかは間違っているはずだ。しかし間違った信念ほど強く(真だと)信じられていることも多い。
 ただし、私たちはどうすれば自分の信念の正しさを知ることができるか?という問いは難しいため完全な答えを得ることはできない。
 そこで本章では信念の正しさを考察する準備段階であるところの、『「真」や「偽」は何を意味するか』という問いについて考察する。
 本章では信念の真偽は考察せずに「この信念は真か偽か」という問いが何を意味するかを考察する。(繰り返すが、)「真とは何か」「偽とは何か」とだけ問うことにする。

 信念の真偽の考察と、真や偽の意味の考察を区別することは重要である。もしこれらを混同してしまうと、どちらにも当てはまらない答えが出てしまう。

 

<読書メモ>
 ここを読んでプラトンの「国家」の正義に関する議論を連想した。(参考3、P29~)
ソクラテスはトラシュマコスとの議論の中で、正義は正しいという信念に関する議論と、正義とは何か不正とは何かという議論を、おそらくは意図して混同させている。そうすることで何度も妙な結論に導く試みを行い、途中から議論に参戦した人も次々と組み伏せていく。
 信念の正しさとその前提となる言葉の定義を混同してしまうと、常識とは逆の結論さえ導きかねないという良い例えだ。
 余談だが、「国家」のこの部分は読んでいてとても熱気が伝わってくる。ソクラテスの弁論が大勢の観客を呼べる芸だったという話も十分納得できる。まるで観客の多いストリートのバトルみたいだ。

 


参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm
参考3 国家(上) プラトン著、藤沢玲夫訳、岩波文庫、2008年、第49刷