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哲学入門(バートランド・ラッセル著)9章 メモ(10)、9章完了

 ラッセルの哲学入門(参考1)9章の抜粋と読書メモの続きです。今回で9章は終わりです。

 

P123、10行~P124、1行
 考えるという心のはたらきは人によって異なり、また同じ人であっても時点によって異なる。
 思考と対象を区別した場合、もしも白さを思考とするならば、白さが人によって異なることや、同じ人でも時点によって異なるということはありえない。
 (なぜなら)白さという対象は複数の思考が共通して持つものであり、(且つ)この対象はどの思考とも異なるからだ。
 このように、知られるときには普遍は思考の対象となるとしても、思考そのものではない。
<読書メモ>
 次の二つはとりあえず理解しなければならない。一つは普遍とは複数の個物を認識する上で共通して持つものであり、それは本質的であること。もう一つは、各人の思考は普遍を認識するが、普遍は各人の思考によって変わるものではないこと。
 本書は多くの例や、哲学の多くの論を例にして説明されているが、説明していることはそれほど多くない。如何に普遍と思考を分けるかということだ。

 

P124、2行~P125、4行
 ものが時間の中にあって、ある時点を指し示すことができるときに限って、ものは存在する(existing)。よって思考や感情、心、物的対象は存在する(exist)。
 しかし普遍は「存立する subsist」や「有る have being」と言える。「有 being」は「存在 existence」 とは異なり時間性を欠いている。有の世界は変化がなく、厳密、正確であり完全を愛する数学者や論理学者、形而上学体系の構築者が愛する世界だ。
 一方存在の世界は流動的、あいまい、明確な境界がなく計画されても配列されてもいない。思考や感情、感覚のデータ、物的対象、善悪、人生と世界の価値にまつわるすべての違いを含む。
 有の世界と存在の世界のどちらを好んで見つめるかはその人の気質による。どちらかが好きな人はもう一つの世界を低く評価してしまいがちだが、形而上学者は両者を偏ることなく注目すべきであり、両者の関係を考察すべきである。
 しかし(そこで)第一に検討すべきは普遍に関する知識だ。次章では普遍の問題の元となったアプリオリな知識に関する問題の解決について述べる。
 <読書メモ>
 ああそうか。時間性の有無という整理の方法があったのか。厳密性、正確性、不変性が実世界に降りてきたときに生じる齟齬は有と存在の対立だった。あるいは存在するものから共通したものを抽出すること、すなわち抽象度を上げることは、時間性を幾分かでも排除していくことで為されるのだ。
 例えばSDGsの17の目標は理念に近く抽象度が高い。「貧困をなくそう」という目標は「有」であるが、いつ、どこの、誰を対象とするといった「存在」としての具体性は示していない。逆に具体的に特定の時点や対象を示すのであれば、普遍性を持たないのでSDGsの目標としては成り立たない。
 別の例えとして、「総論賛成、各論反対」という言葉がある。考え方は素晴らしくて賛成するのだが、自分がやるのは面倒だから嫌だ、みたいな使われ方をする。このときの総論は有あるいは存立に近く、各論は存在に近い。
 形而上学者じゃない普通の人達にとっても、「有」と「存在」の両者を分けへだてなく扱い、両者の関係を考察することは重要だ。大げさに言えば日々のリアルな仕事も「有」と「存在」の対立をいかに融合させるかということなのだ。
 教えてラッセル先生!

 

参考1 哲学入門 バートランド・ラッセル著、高村夏輝訳、ちくま学芸文庫、2018年、第二十刷
参考2 http://www.gutenberg.org/files/5827/5827-h/5827-h.htm